ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

あの日から5年の…

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介




 あの日から、5年が過ぎた。そのわずか1カ月前に福島の人たちとたまさかの縁を結んでいた私にとって、あの時の震災と原発事故は京都での日常をも揺るがすものだった。

 この5年間、充分ではないが相馬市の精神医療の再建に協力し、福島の子どもたちの保養を続けてきた。だが、現状はますます傷を深めていくばかりだ。

 国は避難者の帰還を進めるが、肝心の除染は進まず、人々の不安は解消しない。放射能に対する不安を訴えると、科学的に無知と言われ、風評被害を煽(あお)っていると非難される。郷里に残ってわが土地の再興をめざす人々の努力は、国の無策に裏切られる。穏やかな日常を過ごしたいという無垢(むく)な願いが、互いの不安を素直に語りあえなくしている。

 今現在、福島の子どもの甲状腺がんは160人を超え、100人の子どもがこれまでに手術を受けている。それでも県や国は、原発事故による放射能との関係はないと言う。「科学的な議論」ではっきりするまでは、何ら対策をとるつもりはないというのだ。甲状腺がんはヨウ素による被曝(ばく)が原因なので、現在は新たな被害は発生しないとも言われる。だが、「完全にコントロールされている」はずの倒壊した原発からは、相変わらずセシウムなどの大量の放射性物質が放出され、海や国土を汚染し続けている。そのような放射能による目に見えない人間への影響が、さらに今後、人々の健康に影響しないと誰が言えるだろうか。

 かつて、水俣病が騒がれたとき、政府はその原因を掴(つか)んでいながら、経済を優先させて被害を拡大した。今また、国のメンツと経済が人の生活を押しつぶす。

 この国が今の形になって150年、私たちは無謀な戦争に突き進むことで一度は破綻した。そこから立ち直ったのもつかのま、再び、見たくないものは見ないとばかりに沖縄や福島を見捨て、見せかけの強さを追い求めようとしている。

 あの日から5年、福島に流れた時が、この国の行き先を私たちに知らせる。



たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。