京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
|
●コラム「暖流」
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。 「公正な裁判」のために弁護士 尾藤 廣喜
生活保護基準の引き下げは、生存権を侵害するものであり憲法25条に違反しているとして、今、全国27の地方裁判所で、880名を超える生活保護利用者が原告となって裁判を提起している。この裁判のうち、金沢地方裁判所での審理を担当していた裁判官について、金沢地裁は、3月31日、原告側が申し立てていた裁判官の「忌避」を認める決定をした。 裁判官「忌避」制度は、裁判官に裁判の公正を妨げる事情がある場合、裁判の担当をはずすための制度として当事者に申し立てが認められている制度であるが、これが認められるケースは極めて珍しいと言われている。 この事件の場合、審理にあたった三人の裁判官のうちの一人が、昨年3月まで法務省に出向し、さいたま地裁で国の代理人として生活保護基準引き下げ違憲訴訟を担当し、国側の主張書面の作成をしたり、法廷で弁論をしたりして、中心的に活動していたのである。そして、その後、同年4月に今度は金沢地裁に赴任して、裁判官として今回の訴訟を担当していた。 二つの事件は、訴訟の争点、主張内容なども共通しており、野球でいえば、「ピッチャーだった者が、突然に審判となって判定をする」ようなものであり、到底「公正な」裁判の実現などできるはずがない。金沢地裁のこの判断は、当然のこととはいえ、裁判の「公正」を重視して、司法の威信を守った判断として、高く評価できる決定である。 それにしても、市民目線からすれば到底あり得ない事態が起こった背景には、裁判官が出向して国の代理人(訟務係検事)となり、国の代理人だった者が裁判官となる「判検交流」が恒常的に行われているという実態がある。ただでさえ「行政に遠慮している」のではと言われている「司法」が、裁判担当者について行政と「交流」しあっていては、市民目線での判決など期待できようはずがない。「判検交流」は即時廃止すべきである。 びとう・ひろき氏 1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。
▲TOP
|