ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ゆとりのこころ

僧侶・歌手 柱本めぐみ




 所用あって、嵐山へ向かう電車に乗りました。町中(まちなか)の駅なのに改札口は無人。乗車券も買っても買わなくてもよいのどかさ。駅に入り、乗客を待ってくれている小さな電車に乗り込みますと、間もなく「ドアが閉まります。お気をつけください」と、車掌さんの穏やかなアナウンスが車内に流れて電車は動き始めました。私は、がたんがたんと音を立てて揺れながらゆっくり走るこの電車が好きで、その日も、まだ散り残っている桜を見ながら小さな旅をしている気分でおりました。

 改札すらない小さな駅を通り過ぎた頃、ふと前を見ますと、運転手さんが突然片手を上げて、左右に大きく振っておられる様子が目に入りました。何をしておられるのかと思って沿道を見ますと、小さな子どもさんたちが電車に向かって手を振っておられたのです。おそらく、お散歩中の保育園児さんたちだったのでしょう。手を振る子どもさんたちのとてもうれしそうな表情に、私は何とも言えない感動を覚えました。ひょっとすると、運転手さんと園児さんのあいさつは日課になっていて、お互いの楽しみになっているのかもしれないと想像しました。

 ただそれだけのことかと思われる方もあるかもしれません。確かに、なぜ、この光景にこれほどまでに感動したのか私も不思議でした。その時、思い出したのは知人の口癖でした。「若い時は車で。少し年をとったら自転車で。もう少し年を重ねたら歩いて」。同じ道を行くにも、スピードによって見えるものが違うのだと話してくださった時の顔が、とても楽しそうだったことを覚えています。

 そうです。その日の私は急いでいなかったのです。そのおかげで、見えなくっていたものが見えたのに違いありません。

 電車の運転手さんも、沿道の園児さんも、乗客も、みんなが共に生きている社会の日常。今という時。やさしく関わり合えるためのゆとりのこころを忘れてはならないと気付かせていただいた春の一日でした。



はしらもと・めぐみ氏
京都市生まれ。京都市立芸術大卒。歌手名、藤田めぐみ。クラシックからジャズ、シャンソン、ラテンなど、幅広いジャンルでのライブ、ディナーショーなどのコンサートを展開。また、施設などを訪問して唱歌の心を伝える活動も続けている。同時に浄土真宗本願寺派の住職として寺の法務を執り行っている。