京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●コラム「暖流」
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。 すべてのことは「いただきもの」真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
4月14日、私の元にメールが来ました。「妙慶さん。私は今、地震で倒壊した瓦礫(がれき)の中にいます。もしかしたら私は死ぬのかもしれません。こんなことなら、もっと人に優しくしておけばよかった。親にも、友達にも。妙慶さんには、ひどいことを言ってごめんなさい」と。私は居ても立ってもおれず返信しました。
人間というのは窮地に立たされた時、何を思うのでしょうか? 彼女は私のブログの読者で、「恵まれてない」「親は何もしてくれない」「妙慶さんの返事が遅い」とメールで不満をぶつけてこられていました。しかし、「死」に直面したとき、はじめて「私は求めてばかりいて、相手に何もしてあげられなかった」と思われたのではないでしょうか。 お釈迦(しゃか)さまは「人生は苦である」と言われました。この「苦」とは、心身のさまざまな苦を含めて、思い通りにならないという意味があります。 しかし、私たちは、「もう少し環境に恵まれていたら、幸せになったかもしれない」「稼ぎがよければ、人に優しくもしてあげられるのに」「もう少し学力があれば、人生変わったかもしれない」と、求める心で生きていないでしょうか。 四苦八苦の中に、求不得苦(ぐふとっく)という、求めて得られない苦しみがあります。しかし、求めた分、すべて見返りがあると人間は傲慢(ごうまん)になり、「ありがとう」という気持ちはおこりません。 あるタレントさんが、ファンの方から「バカ。死ね」と書き込みをされたときのこと。「その言葉を、誰かに『好き、好き』と書きこんでくれたら、皆が笑顔になるのにな」と返事をされたそうです。見事ですね。 2日後、彼女は瓦礫の中から救助されました。そして私に「この命、大切にしていきます。これからは優しい言葉をかけていきます」と返事をくださいました。 「苦」は自然にあることなのだと受容したとき、すべての出来事を「いただきもの」だと慶(よろこ)べるのでしょう。 かわむら みょうけい氏 アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。
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