ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

本当の地獄とは

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 今年は源信の千年忌(1017年示寂=じじゃく=)を迎えます。源信は幼名を千菊丸と言い、平安時代中期、奈良県の当麻(現、香芝市)で生を受けられました。

 7歳の時に父を失い、母の手一つで育てられ、9歳の時に比叡山へ。13歳の時、名を源信と改め正式に仏門に入り2年後、「称讃浄土教(しょうさんじょうどきょう」というお経を村上天皇に講義されたのです。帝(みかど)は講義の素晴しさに感激され、褒美の品と「僧都(そうず)」という位を授けられました。源信は、母へ手紙と褒美の品を送りましたが、母はすべてつき返したのです。

 後の世を 渡す橋とぞ思いしに 世渡る僧と なるぞ悲しき

 「あなたを出家させたのは、この世で苦しみ迷う人々に生きる喜びの灯をともし、仏さまの世界に渡してあげる橋の役目になってもらえると思ったからです。ところが、あなたは位が上がった褒美の品をいただいたと、自慢をしているだけではありませんか。そんな世渡りのためなら比叡の山で修行する必要はありません。悲しみでいっぱいです」とおっしゃったのです。

 目を覚まされた源信は修行に精進されました。親鸞聖人は、初めてお念仏のみの教えを広められた源信を浄土真宗の七高僧の一人に挙げられ、その著「往生要集」は後の世に生きる私たちの大きなともしびになっています。

 その一文に「我、今、帰するところ無く、孤独にして同伴無し」というお言葉があります。源信は、人間がもっとも苦しいのは、帰るべき場所もない、話し合う友も無いことなのだ。まさしくそれが地獄なんだとおっしゃったのです。地獄とは、自らの欲望のまま生き、他者を傷つけても痛みを感じることが無い者が堕(お)ちていく世界です。源信も母から「うぬぼれなさんな」と言われなければ、賢さだけを誇り人間との距離をつくり地獄に陥っていたと思われたのでしょう。

 「どこまでも共に大地で生きていける関係」は、源信から親鸞聖人へ、そして私たちに受け継がれた生きた言葉だったのですね。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。