ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

いま、障害児の放課後は

立命館大教授 津止正敏



 全国障害者問題研究会の第50回大会が、この8月6日から7日にかけて京都で開催される。私がこの大会と初めて出会ったのは第13回大会(1979年、京都)。この前年に、城陽市で障害児のサマースクールが始まり、その後乙訓地域にも広がった。83年には夏・冬・春の長期休暇中ほぼ毎日開設する障害児のための学童保育が長岡京市や向日市に誕生した。

 地域の障害児の親の会や教師だけの活動ではなかった。それまで障害のある子どもたちと直接関わる機会の少なかった社会福祉協議会や民生委、高校生や大学生など多彩なボランティアが参加する新しい市民活動だった。親の会や学生など仲間内での小さな活動はこれまでにも散見されたが、地域全体を視野に収め社会に開かれた活動という意味で実に新鮮だった。これらの活動は学校とも家庭とも違う、障害児のもう一つの発達保障の舞台としての地域(放課後)に着目した運動だった。「ゆたかな放課後保障」というキャッチコピーと共に各地に広がっていった。

 地域に支援の資源が「何もなかった」時代のエピソードだ。社会の資源は貧しかったが、障害児を支えるみんなの志は高かった。

 あれから27年、環境は激変した。障害児の「放課後等デイサービス」が2012年に制度化され、事業所は全国に7600カ所を超えた。だが、豊富な社会資源に安堵(あんど)する気持ちが一気に萎(な)える報道(5月15日、京都新聞)を目にして、不安になった。不正受給で7千万円もの返金命令をうけた事業者をはじめ、20業者が処分されたという。「収益性」に群がる一部の不心得者の業者のことだろうが、殊更に市場化に傾斜した制度が誘導していることもまた事実だ。支援学校の下校時には放課後デイサービスの送迎車が列をなしているともいう。あの頃、父母や支援者が心ひとつに額にも心にも汗して追い求めてきた「ゆたかな放課後保障」とはどのようなものだったか。検証したい。



つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。