ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

人工透析と「公費負担」

弁護士 尾藤 廣喜






 元テレビアナウンサーが、ブログで「自業自得の人工透析患者を全員実費負担に」「無理だと泣くならそのまま殺せ」との意見を掲載し、批判が殺到している。

 元アナウンサー氏の立論は、本来さまざまな要因が重なって発症するのが病気であり、生活習慣病と遺伝・先天的な要素による病気とを見分けること自体が困難であること、また仮に、生活習慣病であったとしても、それ故に保険給付や公費負担の対象としない理由がないことなどから、到底認められるものではない。また、無理だと言うのなら殺せなどという主張は、言論人としてあり得ない暴言である。

 しかし、私は、同氏には、それ以上に人工透析が「公費負担」となった歴史と重みを十分に知って発言してほしいと思う。人工透析は、当初健康保険の対象とならず、治療費が負担できない人は「金の切れ目が命の切れ目」といわれ、患者が次々と亡くなっていた。1967年になって医療保険が適用された後も、高額な自己負担があり、患者・家族は当時の厚生省、大蔵省や国会に幾度も粘り強く要請し、72年になってやっと公費負担制度が導入された経過がある。

 この間も、医療費が負担できないために命をなくす多くの患者がいたが、ある自治体から生活保護による医療扶助の適用をして対応すべきだとの協議が厚生省社会局保護課になされた。これを認めた担当者は、当時同課にいた私であった。経済的理由で人工透析が受けられない事態に対応する制度としては当時生活保護制度しかなかったからであった。その後、「高額な自己負担を軽減する制度を」との思いで保険局と協議がなされた結果導入されたのが、「高額医療費制度」である。

 このように、人工透析の「公費負担」制度、高額医療の社会的負担制度は、さまざまな努力と思いが集積した英知の結晶なのである。社会保障の意味は、まさにそこにある。



びとう・ひろき氏 1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。