ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

行政事件の「管轄」と池田眞規弁護士

弁護士 尾藤 廣喜






 11月13日、池田眞規弁護士が享年88歳で逝去された。池田弁護士は、日本反核法律家協会の元会長、原爆症認定集団訴訟の全国弁護団長をされていたが、それ以上に、50年以上わたって被爆者の相談活動に携わり、核廃絶運動に全力を注いでおられたことがよく知られている。私は、京都府内に在住してた小西建男さんが自分の症状(肝機能障害と白血球減少症)が放射線によると訴えた原爆症認定訴訟に、法律扶助協会の依頼により代理人となり、この裁判を相談したことがきっかけで知り合った。

 この裁判は、行政事件訴訟法が被告(当時厚生大臣)の住所地(つまり東京都)に管轄があるとしていたところから、京都地裁から東京地裁に事件を移送するとの決定が出され、最高裁でこの判断が確定してしまった。その際、池田弁護士に「今後、東京の弁護団で代理人になっていただけませんか」と相談したのだった。

 これに対する池田弁護士の答えは明確で、「君は最高裁で負けたらあきらめるのか」とのことだった。私は、「じゃあどうすればいいのですか」と問い返したが、「毎回の東京までの交通費をご本人も扶助協会も負担できるのか」と詰められた。「できない」と答えると、「じゃあ、ストライキ(出廷拒否)するしかないだろう」と言われた。まさに、頭を殴られた思いだった。池田弁護士の「提案」に、「弁護士の魂」を見た思いだった。

 池田弁護士の指示通り私が「出頭できない」との抗弁を続け、その後、東京から京都にUターン移送され、京都での審理ができるようになった。そして、本案の訴訟も勝訴し、これが、その後原爆症認定集団訴訟へと大きく発展していくことになる。ちなみに、この管轄の矛盾は、後に法改正され、東京だけでなく、原告の居住地の高裁(京都の場合は大阪)にも提起できるようになった。

 「法」の矛盾を放置することなく、「現実」を裁判所に突きつけることによって、解決策を探る気概を持て。池田弁護士のあの教えを、今後も大切にしたいと思う。



びとう・ひろき氏 1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。