ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

When I´m sixty-four

立命館大教授 津止正敏



  “When I´m sixty-four”―64歳になったらどうなっているのだろう。髪の毛も薄くなって、庭いじりでもしているのだろうか。あなたに必要とされているだろうか。ビートルズのポールが歌うこの曲に出会った50年ほど前には歌詞の意味することすら考えもしなかったような64歳を今年迎える。確かに、鬢(びん)や眉には白髪が混じり、"あれこれそれ"が増え、"じいじじいじ"と言い寄る孫に目を細める年になった。自身の年齢を自覚するにはもうさほどの抵抗もなくなったが、学生らに時折の物忘れや判断ミスなどを弄(いじ)られるとひどく傷ついたりもする。年寄り扱いされるといやいやまだそんな年ではないからとことさらに若さを強調したり、負荷の多い面倒な頼みごとがあるともう若くはないからと言って断りを入れたり、厄介で複雑なお年ごろになった。

 こんな挨拶(あいさつ)を記した賀状を年末ギリギリにやっと投函(とうかん)した。さあ、酉(とり)年の今年は頑張って年寄り支度だ。だって来年は65歳、正真正銘の立派な高齢者なんだからな、と決意新たにしたばかりなのに、ヒョイと肩透かしを食らうニュースに面食らった。現在65歳以上とされている「高齢者」を、体力的な面などからもいまや75歳以上に引き上げるべきだという日本老年学会の提言だ。65〜74歳までを「准高齢者」と位置づけ、健康な間は仕事を続けたり、経験を生かしてボランティアに参加して、社会を支える側に回れ、ともいう。社会保障制度とは別、というが定義変更はそれを誘導する。無責任だ。

 むやみに腹を立ててはならぬことを年頭の誓いにしたばかりなので、毛髪が逆立つのをぐっと我慢して抑えた。年齢を盾に社会からの撤退を強制されるのも嫌だが、ことさらに勤労や貢献、元気、活力を強要されるのも拒否したくなる。いずれにも「高齢者」を社会の邪魔物扱いして排除したがる思想臭が漂うからだ。

 74歳のポールがこの4月に来日する。あの歌は演目に入っているのだろうか。



つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。