ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

慈しむこころ

僧侶・歌手 柱本めぐみ




 1月17日、阪神淡路大震災から22年目を迎えました。そして来月には、東日本大震災から6年目を迎えます。毎年この時期になると、あの日の映像が。否が応にも脳裏に甦(よみがえ)り戦慄が走ります。そして被災された方は、何を思い、どのように暮らしておられるのだろうかと考えます。しかし、私は当初に僅(わず)かな物資を送って以降、皆さまのご苦労を思うだけで手をこまねくばかりです。「寄り添う」という気持ちが大切だと知ってはいても無責任な同情のような気がして、申し訳ないと思いながらも結局何もできないまま過ごしてきました。

 そんな不甲斐(ふがい)ない私が、支援活動というと必ず思い出す人物があります。九條武子です。西本願寺第21代法主の娘として生まれ、仏教婦人会や京都女子高等専門学校(現・京都女子大)の創設に携わり、歌人でもあった女性です。彼女は大正12年の関東大震災で被災し、悲惨な状況を見て、身を挺(てい)して震災による負傷者や孤児の救援活動などに尽くし、後には、私財を投じて病院も建てましたが、過労のために病に倒れて42年の生涯を終えたのでした。

 過日、その九條武子没後90年を縁とした講演があり、その中で「武子自身が被災者であったことで人々と苦労を共にし、こころから寄り添うことができたのだろう」と伺いました。なるほどと思うと同時に、厳しい状況の中で彼女を突き動かしたものは何だったのだろうと考えました。その時、彼女の歌をひとつ思い出しました。「捨てられてなほ咲く花のあはれさに またとりあげて水あたへけり」私はこの歌に彼女の深い慈しみのこころ、真のやさしさを感じるのです。そして、あらためてこの歌を読み返して、九條武子という女性の活動の源は勇気でも財力でもなく、「慈しむこころ」であったのではないかと考えるようになりました。

 九條武子という方と比ぶべきもない私ですが、慈しむこころを持?ていれば、いつかは何かのお役に立てるかもしれないと思わせていただいています。



はしらもと・めぐみ氏
京都市生まれ。京都市立芸術大卒。歌手名、藤田めぐみ。クラシックからジャズ、シャンソン、ラテンなど、幅広いジャンルでのライブ、ディナーショーなどのコンサートを展開。また、施設などを訪問して唱歌の心を伝える活動も続けている。同時に浄土真宗本願寺派の住職として寺の法務を執り行っている。