京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●コラム「暖流」
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。 誤解真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
私はよくお見合いの世話を頼まれます。先日、知人をある女性に紹介しようと思い「○月○日空いていませんか?是非紹介させてほしい方がいます」とメールをしました。
前日の夜までに返事がなかったので都合が悪いと判断したのです。 当日の朝、「今日の待ち合わせはどこですか?」と知人からメールが来たのです。私は「返事をいただけなかったので、先方に断ってしまいました」と返事をしたのです。すると「この日を楽しみにしていたのですが」と返事が来ました。 私はこのことで結婚のご縁が遠くなるのが悔しく、先方に駄目元で連絡したのです。彼女は都合をつけて来てくださったのです。 知人を見た彼女は「返事をいただけなかったので、私に興味がないと判断していましたし、冷たい方だと想像していましたが、笑顔のすてきな方ですね」とうれしそうでした。 今回は、先方さんが来てくれたから良かったものの、都合がつかなければ、知人の結婚のご縁はますます遠のいてしまいます。知人は、誤解を受ける要素を持っているなと感じたものです。 その理由は三つあると思うのです。@「言わなくてもわかるでしょ!」という思い込み。それは、相手に悟ってもらうという曖昧な気持ちもあるのでしょう。知人は、おっとりした優しい性格です。しかし、それが行動に生かされていません。誤解を受けるだけです。 A面倒くさがる。返事が面倒だと放置していると、相手は違った意味で捉えます。 B伝え下手。楽しみにしているのであれば、その気持ちを瞬時に正直に伝えたらいいのでしょう。人間というものは言葉で不安にも安心にも変わるものです。 「それは誤解よ!」と言う前に、答えるから、相手の身になって呼びかけに応えていける「呼応の関係」を持ちたいですね。 かわむら みょうけい氏 アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。
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