ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

抵抗の根拠

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介




 政界が揺れている。現政権からの圧力による恣意(しい)的行政判断が疑われ、それに関して、渦中にいた元官僚が告発をした。

 権力の一極集中が起きているなか、個人がそれに果敢に抵抗した。大新聞がその個人の私生活を暴き、彼の信用を貶(おとし)めんとする誹謗(ひぼう)中傷の記事を大々的に報道し、政府の中枢が公の場で、その情報を使って個人を攻撃した。それは、なんとも異様な光景だった。

 政権にある者が、しっかりした根拠もないままに個人を攻撃するようなことは、許されることではない。力を持つものが保つべき品位を欠いて、見苦しい。

 だが、それに迎合して、何の証拠もなく個人の言動をとやかく言いあっている私たち市民の側も、危ういところにいると思う。

 こういう問題が起こると、どちらの言い分が真実かをまず見極めなくてはならない、公平さを保とうという一見冷静な主張も必ず現れる。それは正しい。ただし、自分の身の回りの小さな事柄ならば。

 私たちが日々接する社会の問題では、私たちの得られる情報はわずかなものに限られている。それにもかかわらず、私たちは常に正邪善悪の判断を強いられている。そのなかで、過った判断をしてしまうことは、避けられない。

 ではどうしたらよいのか。こんな時は、まずは小さく弱い者の側に立ってみる、という方法はどうだろう。そしてその後にゆっくりと、修正すべきは修正する。なぜなら、そうすれば自分が間違っていたとしても、もともと強いほうの相手にはダメージが少ない。その反対に、最初から強い側の言い分に与(くみ)してしまったら、間違った時に取り返しがつかないことになる。

 国は個人に対して生殺与奪の権を握り、時として自らの保身のためにそれを行使する。これが今回見えたことだ。どのような時にも、それに抵抗できること、そのような判断の仕方を保つこと。それが、私たちが主権を行使するということである。それは本来、私たちのものなのだから。



たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。