ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

暴 言

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 今、怒りから「暴言を吐く」人が増えた気がします。親が子へ、子が親へ、上司が部下へ。

 電車の中でも、暴言を吐いている光景が見られます。暴言を吐くという時は、「自分が正しい」と思っているからです。キツイ言葉を使うことで相手に威圧感を与え、自分が優位になろうとするのです。自分の常識でしか、他者を見ることができないのでしょうか。

 私は師から、こんなふうに言われたことがあります。「人に注意する時は、『自分にもできない時代があったな』と思い出しながら伝えなさい』と。自分にも未熟な時があったのです。何度も失敗しながら、先人の多くの出会いによって育てられてきたのです。

 さて、ご門徒のSさんは、お嫁さんと気持ちが通じ合わず苦労をしていました。そこである時、Sさんはお嫁さんに「今日からあなたと友達になろう。安心して何でも話してよ」と手を差し出したそうです。握手した瞬間、お嫁さんは「友達なんだ」と言いながら泣きだしたそうです。

 私たちが救われるのは、阿弥陀(あみだ)さまの慈悲に出会った時です。

 「慈悲」の「慈」とは、インドの言葉で「マイトリー」と言い「純粋友愛」のことです。「純粋」とはお返しを求めないことです。

 「慈悲」の「悲」とはインドの言葉で「カルナ」といいます。その語源はうめき声ということです。私たちはどちらかの人間が優位に立った時、相手と向き合えなくなり、心を閉ざそうとします。

 暴言を吐かれた人は傷つきます。また、暴言を吐いてしまう人にも、きつい言葉でしか自分を守らないといけない「心の寂しさ」が根底にあるのでしょう。阿弥陀さまは、「どちらかが完璧なのではない。共に育ちあう関係が持てた時、お互いが『慈悲の心』で救われていく」とおっしゃっているのです。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。