ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「核兵器禁止条約」採択とヒバクシャ

弁護士 尾藤 廣喜






 8月9日、私は、長崎の平和公園にいた。「核兵器禁止条約」が採択された後、初めての長崎での原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加するためだ。

 私は、30年以上原爆症認定訴訟の代理人として被爆者からさまざまな被爆体験をお聞きしてきた。被爆者は、原爆の閃光(せんこう)、放射線、爆風と熱線による被害だけでなく、今日なお続く、がん、甲状腺異常、肝機能障害、心筋梗塞などの後遺症に苦しんできた。さらに、「あの時、自分だけが助かった」ことへの負い目にも苦しみながらも、「自分たちのような悲惨な思いを二度と誰にも味わわせたくない」との思いで、核廃絶を口々に訴えてきた。そして、核兵器禁止を求める国際署名運動の先頭にも立ってきたのだ。

 「核兵器禁止条約」は、核兵器の使用、開発、実験、製造、貯蔵だけでなく、「使用するとの威嚇」をも禁止して「核抑止力」を完全に否定している。そして、その中で条約の成立について、「ヒバクシャ」をはじめ「公共の良心」の果たした役割を高く評価していることも注目される。今回お会いしたたくさんの被爆者は、心からこの条約の採択を喜ぶと同時に、日本国政府が、核保有国の不参加を理由にこの条約の採択に参加しなかったことに、激しい憤りを訴えていた。式典でも、田上富久長崎市長が「核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と政府の姿勢を平和宣言の中で厳しく批判した。

 安倍首相は、式典のあいさつの中でも、条約については触れず、原爆症認定訴訟に30回以上も敗訴し、極めて狭い認定基準を根本的に転換すべきであるにもかかわらず、相変わらず「できる限り迅速な審査を行う」と述べて基準を改める考えのないことを強調していた。今こそ国は、原爆被害の実態を直視し、ヒバクシャや多くの公共の良心に誠実に応え、核兵器禁止条約への参加に大きく政策転換すべきである。



びとう・ひろき氏 1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。