ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「ながら」の回帰性

立命館大教授 津止正敏



  「ながら」といえば、私の学生時代であれば深夜の「オールナイトニッポン」や「セイ!ヤング」「パックインミュージック」などを聴きながら受験勉強に励んでいたことをいった。「ながら族」といわれて母には目の敵にもされた。“勉強に集中しなさい!”。このトラウマなのか「ながら」と聞けば何か後ろめたくもあるが、いま、介護の分野でも「ながら」という新しい現象が起こっている。

 介護は長い間、専業主婦が担ってきた。介護に専念し得る家族の存在こそがこれまでの在宅介護を可能ならしめ、3世代・4世代同居・近居という大家族が基盤にあった。高度経済成長以降、こうした大家族に取って代わったのは核家族化・単身化の劇的な進展だった。女性の就労や社会参加も同時に進行した。こうして介護に専念し得る家族はいつしか消滅し、「ながら」介護という新種が登場することになる。

 実家に通い「ながら」親を介護する娘や息子。働き「ながら」配偶者や親を介護する中高年のワーキングケアラー。晩婚化・晩産化が拡がり、子育てし「ながら」親を介護するダブルケアラーといわれる40前後の娘や息子。修学・就活・婚活し「ながら」親や祖父母を介護するヤングケアラー。自身もデイサービスや病院に通院・通所し「ながら」配偶者や親や子どもを介護する老老の介護者。「ながら」介護は全世代を飲み込んで広がろうとしている。

 ただ、見落としていけないこともある。あれもこれもという対応の複雑性から来る「ながら」の困難性と同時に「ながら」介護を可能とするこれまでにはなかった時代の先取性もあるということだ。家族が介護に専念する時代とは違って、家族介護を代替し高齢者と家族を支援する社会資源の存在だ。“あと少しで定年退職だ。これも職場の理解やデイやヘルパーの支援があってこそ。感謝!”。働きながら妻を介護してきた男性の声だが、24時間介護漬けにならずに済んだ、ということでもある。「セイ!シニア」だ。



つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。