ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

腹の虫が治まらない

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



  「あの人を注意するだけでは、腹の虫が治まらない」。「今日、妻がすごい剣幕(けんまく)で怒ったのだけど、よっぽど虫の居所が悪かったのだな」など、私たちは何かの出来事によって感情が動かされる時、それをお腹の虫の仕業にすり替えてしまうことがあります。本当に腹の虫が悪さをしだすのでしょうか?

 道教では、人の体には3匹の虫が棲(す)んでいると言われているそうです。上尸(じょうし)(脳の中にいるだろうという虫)、中尸(ちゅうし)(腸の中にいるだろうという虫)、下尸(げし)(足にいるだろうという虫)の3匹の虫で、いつも人の行動を監視していて、庚申(こうしん/かのえさる)の日になると、眠っている人の体から抜け出して、その人が犯した罪を天帝に告げ口してしまうというのです。日本では江戸時代に広まり、それらの虫に告げ口されないようにと、庚申の日の夜は、みんなで集まって眠らないようにする「庚申待ち」という催しがされたりしたそうです。今では庚申塔が道のどこかで見かけられるのも名残なのですね。

 さて、私たちはさまざまな人間関係の中で、きっかけさえあればいつでも怒り、腹立ち、嫉(ねた)みの心が湧き起こります。怒りの原因が「虫の仕業」となると、本当の私の姿に気がつくことができません。親鸞聖人は教行信証の中で「蜎飛蠕動(けんぴねんどう」というお言葉を引用されています。

 蜎飛とは飛びまわる小虫、蠕動とはうごめく、うじ虫のことです。実はこの虫がいるからこそ私たちは生きていけるということをお教えいただく言葉です。虫がつくほど安全な野菜。土を作るのも虫のおかげ。私たちの体もさまざまな細菌がいるから助けられ生きています。自分にとって不都合な、追い出したいものは、実は私を元気にさせてくれる原動力なのです。腹が立ったとき、腹の虫を治めるのではなく、腹を立ててまでも自分を主張してしまう私と向き合いませんか? 秋の夜長、虫の声を聞きながら考える時間を持ちたいですね。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。