京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●コラム「暖流」
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。 気がつく人真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
「あの人とは気が合うな」「あの人は気が強い人だよね」などと、私たちは他人と自分をどこかで図りながらいきています。すると少しでもできる自分を見せなければと気を張って生きています。しかし、良い結果が得られないと「ああ疲れた」とため息が出るのです。それが気疲れとなり体調を壊してくることもありますね。
よく考えてみてください。さほど、体力を使ってないのに、気を張るだけで、なぜ疲れてしまうのでしょうか。それは心の中で「失敗したらどうしよう」「嫌われたらどうしよう」と、過度な虚勢を張り、自分が持っている気を消耗しているのです。 「親しい人以外の人に会うのは、気を使うから面倒」という方がいます。なぜそう思うのでしょうか? それは相手が私に気を使ってくれることを求めているからです。しかし、相手はそうはしてくれないこともありますね。となると、「私が気をつかわない人とは会いたくない」となるわけです。それは、個人的な世界観を持ちすぎでしまい、自分に合わない人が「気になっているだけ」なのです。だから疲れる。 昔の人は「気は心」といってコミュニケーションを築いておりました。「例え大きなことはできないけど、あなたにできるのはこの真心なんだ」と無理のない気の使い方をしていました。気と心は目には見えませんね。見えることだけに囚(とら)われ、人間の価値をつけるのではなく、相手の気持ち、相手の状況、環境をそのまま見て受け止められると、気が楽になります。 歴代の僧侶は「気は長く持とう。腹は立てずに横に。心はまるく、他人は大きく、己は小さく」とお教えくださいました。人間には、気の強い人、内気な人、元気な人、やる気のある人、やる気の持てない人もおられます。 「気のつく人」というのは、気が回る人のことです。さまざまな人の気持ちに目を行き届かせていける人なのでしょう。 かわむら みょうけい氏 アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。
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