ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

マナーはこころ遣い

僧侶・歌手 柱本めぐみ




 先を急いで歩きながら、約束の時間に少し遅れることを連絡しておこうと思った私は、その場に立ち止まって携帯電話を取り出しました。そして、番号を調べていた時、クラクションが鳴って慌てて道端に寄りました。私は路上で携帯電話を操作していたのでした。 

 スマートフォンのマナーは社会問題になっています。私も携帯の画面を見ながら歩いている人を見かけると、なんと危険なことをするのだろうといつも思います。しかし、そう思っているはずの自分自身が、同じようにマナー違反をしてしまったことに少し情けなさを感じたとき、数日前の出来ごとを思い出しました。 

 それは、ATMで振り込みをしていた時でした。「いつまでやってるの」という声がして振り向くと、私のうしろに数人の方が並んでおられました。装置が1台しかない所で前の人が長く占領されると、あまり愉快なものでないことは重々知っていますし、私がATMを使っていたのは、さほど長い時間でないつもりだったのですが、もう少し気をつけるべきでした。また、何も怒鳴らなくてもいいだろうという思いから、「すみません」のひとことを言わずに立ち去ったのも、不快さを助長する行為だったとあとで反省しました。

 路肩に1台の車が止まっていることで渋滞すると、「こんなところに止めて…」と思うくせに、自分は「ほんの1、2分のことだから」と車を止めてしまうこともあります。静かなお店で友人との話が盛り上がり、ふと気がつくと、私たちの大きな話し声が回りの方に迷惑をかけていたかもしれないと思うこともあります。 

 日常を振り返ってみると、マナーは知っていても、無意識に、あるいは「これくらいなら…」と、決してほめられない行動をとることは少なくないように思います。

 マナーは社会生活の中でのこころ遣いだと思います。ちょっとしたこころ遣いができるかできないかで、お互いの1日の気分が変わります。今更ですが、マナーは守りたいものです。



はしらもと・めぐみ氏
京都市生まれ。京都市立芸術大卒。歌手名、藤田めぐみ。クラシックからジャズ、シャンソン、ラテンなど、幅広いジャンルでのライブ、ディナーショーなどのコンサートを展開。また、施設などを訪問して唱歌の心を伝える活動も続けている。同時に浄土真宗本願寺派の住職として寺の法務を執り行っている。