ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

戌(犬)にもつらい、戦争。

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介




 「犬よ、今年はおまえの年だ!」と正月一番、お雑煮の出汁(だし)をとった後の鰹(かつお)節をたっぷりご飯に混ぜて愛犬にやった。だが、ヤツめ、吾輩は猫ではないとばかりに見向きもしない。どの犬種ともわからぬ雑種で、あわや“殺処分”というところを助けてやった命である。恩に着せるつもりはないが、芸の一つも覚えずのほほんとして、いまだ恩返しのひとつもない。江戸時代には犬もしていたという「犬のお伊勢参り」ぐらいおまえもしてみろと言い聞かせてみるが、どこ吹く風と聞き流す。

 江戸の昔、犬は誰を飼い主とも決めぬ村落共同体のものだった。旅の人の後をくっついて歩きながら、寄る先々で世話を受けて伊勢まで参ってくることもあったらしい。神社も犬畜生と差別することなく、お札をつけて帰途につかせたという。今でも、金比羅さんの境内に参詣する犬の像が置いてあったりする。

 犬の歴史を研究している仁科邦男氏の「犬たちの明治維新」という本によると、明治維新になって、人の安全と都市の清潔確保のために犬はそのような自由な生き方を奪われた。犬には災難なご維新だ。以来、犬は飼い主が首輪をつけて歩くものと相場が決まる。

 犬といえば、これも今年の年男となりそうな西郷どんの犬好きは有名だ。彼は京の花街でも愛犬を連れ、芸妓(げいこ)さんには目もくれず犬と一緒に鰻(うなぎ)を食っていたという。その西郷どんの銅像が従えた犬は、彼の巨体の脇で小さく見える。だが、実際の彼の愛犬は、それよりさらに小さい薩摩犬だった。

 西郷どんは西南戦争にも愛犬を連れていた。彼の自害後、犬は大切に東京に引き取られる。戦争にもまだ、哀惜の情があったのだ。その後、日本は近代戦へと突入する。太平洋戦争では、犬もまた犠牲となった。軍服の毛皮にされたのである。「畜犬のご奉公」という。

 西郷どんが愛した薩摩犬は、この戦争によりこの国から姿を消した。

 戦争は、犬にもつらい。



たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。