ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

花のこころ

僧侶・歌手 柱本めぐみ




 「春のうららの隅田川」と聞けば、春爛漫(らんまん)、桜が満開の景色が目に浮かび、思わず口ずさまれる方も多いと思います。滝廉太郎が武島羽衣の詩に曲を付けてこの歌が生まれたのは1900年。実に1世紀以上の時を経た今もなお、私たちのこころに鮮やかに響きます。

 春を象徴するこの歌の題名は「桜」ではなく「花」です。歌詞には「桜木」とあるだけなのですが、私たちはこの歌に桜への憧憬(しょうけい)と、春を迎える喜びを感じます。

 「花」を含む「四季」という歌曲集が世に出た頃は、まだ西洋音楽が浸透しておらず、滝は「四季」の序文に「私は微力ながらも我(わ)が国独自の歌詞による歌曲をいくつか公開し、我が国の音楽の進歩に寄与したいと思う」と記しています。しかしそれからわずか3年後。病に倒れた滝廉太郎は23歳という若さで亡くなってしまいました。

 風に舞う桜の花びらを見るとき、滝廉太郎の短い人生が重なります。華やかな花も散りゆく時がくるはかなさを感じながら、ふと「なぜ花は咲くのだろう」と考えたことがあります。

 私たちを和ませてくれる花。何かを語りかけてくれるように感じることもありますが、花が私たちに安らぎが届くようにと願って咲いているはずもなく、科学的な観点からいえば、ほとんどの花は「自分の種(しゅ)を残すために咲く」ということでしょう。しかし、花が一瞬の盛りを懸命に咲いている姿を見ていると、「いのち」そのものが、伝わってくるように感じるのです。

 花瓶の花には、私は病床にあった父のことを思い出します。元気な時はわざわざ花の話などすることはなかった人でしたが、私が枕元に花を生けると、「花はええなあ」とつぶやいていました。やがてはしぼんでしまう花瓶の中の小さな花が精一杯いっぱい咲いている姿は、父のいのちに力を伝えてくれていたのかもしれません。

 今年の春も「花」を歌います。そして、間もなく満開となる桜を見るときは、改めていのちのご縁に感謝したいと思います。



はしらもと・めぐみ氏
京都市生まれ。京都市立芸術大卒。歌手名、藤田めぐみ。クラシックからジャズ、シャンソン、ラテンなど、幅広いジャンルでのライブ、ディナーショーなどのコンサートを展開。また、施設などを訪問して唱歌の心を伝える活動も続けている。同時に浄土真宗本願寺派の住職として寺の法務を執り行っている。