ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

護憲、古いと言われても

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介




 もうすぐゴールデンウイーク、憲法記念日だ。昭和の日の次に憲法記念日がきて、みどりの日とこどもの日が続く。だんだんと未来が開けてくるイメージに染まる、奇跡の一週間。

 だが、「記念日」ではあっても、その憲法を嫌う人たちもいる。結婚記念日を忘れた世の夫は激しくなじられるが、憲法記念日には現憲法をあしざまに言う議論も、堂々とできる。これも今の憲法のおかげであるのを、忘れてはならない。

 反対に、今の憲法をしっかり護(まも)ろうと言うと、理想的すぎて古いよ、お花畑だよと言われる。そういう意見には、理想もお花畑もない社会がいいですかと言っておけばよい。だが、現実には憲法を変えようという動きが着々と進んでいる。

 今の憲法を変えたい、主に保守派の人たちは言う。この憲法は国民の権利ばかり主張していて、国民の義務が疎(おろそ)かにされている。憲法9条があるために、日本を他国の侵略から守れない。このような保守派の改憲に反対する人たちの中にも、条文は時代にあわせて柔軟に変更すべきだ、国民投票で国民が憲法を主体的に選びなおそうなど、積極的改憲の考え方もある。

 だが、私たちは憲法をほんとうに知っているのだろうか。憲法のイロハのイは「憲法は権力の暴走を縛る民衆からの命令である」ということだ。憲法には国民が教育を受ける権利が明記されている。であれば、国は憲法自体についてのこの基礎知識を国民に教育する義務をもつ。ところが、政治家ですらこの憲法の基礎を知らなかったり、簡単に否定してしまうのがこの国の現状である。憲法教育の不在は、国の怠慢だ。

 だとすれば、戦後何年もの間、何と中身のない「記念日」を私たちは祝ってきたことだろう。もう一度、今のこの憲法にのっとった憲法教育がきちんと行われ、憲法は私たちの権利を守るものだということが当たり前にならなければ、どのような憲法議論も実を結ぶことはないだろう。

 だから今、古いと言われても、私は護憲にこだわる。



たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。