ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「シェアリング」と「ケアリング」

関西大教授 所 めぐみ




 英国では90年代はじめに地域生活に援助を必要とする高齢者や障害者らを支援するコミュニティケア法が制定された。その政策が展開されだすころ英国に留学していた私は、その後も何とか継続して現地での調査を続けている。この間に暮らしやコミュニティのありようは大きく変わった。政権も何度か変わり、コミュニティケアやコミュニティ政策の実態も変わってきている。

 特に印象的なのは、この6、7年ほどの間、古くからあるものも含め多くの民間非営利団体が、財政難によりその歴史を閉じてしまったことである。あるものは、他の団体と合併することで生き残る道を選んだ。同じ地域の中で、少ないパイを奪い合うようなことが見られ、「本来は協力しあうべき相手との関係性に影響を与えている。信頼が崩れてしまう」とインタビュー調査協力者から聞くこともあった。

 「私たちの経験をあなたとシェアしたいです」。インタビューではこう言われることが少なくない。辞書を見ると、動詞シェア(share)の意味には、<ものを>共有する、<費用・責任などを>分担する、<意見・苦楽などを>共にするなどの意味がある。経験や知見などを分かち合うというときにも用いられる。そう、「分かち合う」なのだ。「教えます」や「伝えます」ではなく、「あなたと分かち合いたい」

 コミュニティケア政策が本格化する際には、「コミュニティという場で、コミュニティによるケア」という表現が使われた。コミュニティによるケアというところでは、住民にケアを担わせるのかという議論も当然あった。しかし、英語でいう「ケア」には、介護や直接何らかの世話をするという意味だけでなく、「気にかける」ひいては「関心をもつ」という意味がある。

 自分のコミュニティやそこで暮らす他者に関心をもつケアリングなコミュニティをつくるうえで、分かち合う経験は欠かせない。



ところ・めぐみ氏
1967年生まれ。同志社大文学部社会福祉学専攻卒。関西大人間健康学部教授。専門は地域福祉方法論、福祉教育。