ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

然(さ)りながら

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 法友(仏法を共にいただく友)の連れ合いさんから「夫が入院しました。見舞いにきていただけませんか?」と連絡がありました。やせ細った姿に私は言葉も出ませんでした。法友は「妙慶さん! 退院したら僕も積極的に親鸞聖人のお念仏を伝えていくからね」と目を輝かせておられます。病院を出るとき連れ合いさんに病状を聞きました。すると泣きながら「余命3カ月です。でも復帰を楽しみにしている夫にはどうしても事実を言えません」と。

 私は悩みに悩み、師からいただいた色紙を病室に持っていきました。それが、「然(さ)りながら 人の世はみな 春の雪」というお言葉です。それを見た法友は「あーそうか! 私には時間がないのだね。家族は私に笑顔を出すことで精いっぱいだったのだ。妙慶さん! 間に合って良かった。ありがとう」と涙を流しながら合掌されました。

 本当のことを伝えるということが「余命の告知」です。しかし、伝えたでは終われないことがあります。「苦しみ、悲しみ」が同時に襲いかかってくるのです。親鸞聖人は「真実に生きよ!」と投げかけておられます。本当のこと(真)と同時に、相手の苦しみに寄り添うことができなければ「実」にはならないのです。

 春の雪は、冬の雪と違って積もることなく一瞬のうちに消えてしまいます。つまり春の雪は、命あるものは必ず姿を消すという無常を教えてくれる雪なのです。然りながら…。この言葉には「つらいだろう! 無念だろう。見送る私も、春の雪のような命なんだよ」という情が込められているのです。

 命あるものは、死を迎えることになります。しかし理屈ではわかっていても、気持ちを切り替えるには幾時間もかかるのです。私たちの命はむなしく終わっていく命ではないのです。今、仏となる尊いご縁をいただいた、命なのです。このことを生きている時に味わい、残された時間、大切に生きていきませんか?


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。