ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

逆らわない

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 先日、あるバンドのライブに行きました。1時間熱唱されたとき、場内が暗くなりスクリーンに「当バンドは、メンバー全員が還暦を越えており、ほどよく呼吸を整える時間が必要です。お待ちください。皆様も無理せずお座りください」と映像が流れました。爆笑。その時、感じたものです。まだまだ若いと無理して自分を奮い立たせるのではなく、自分の分限の中で正直に生きておられる。それが40年も続けてこられた証しなのですね。

 ある人は言います。「私のことは私が一番わかっている」と。本当にそうでしょうか? 逆に私のことほどわからないものはないのです。なぜなら自分の目で自分を見る事ができないからです。また人間には、自分のことを都合よく守ろうとする「自我の心」があります。この自我が強くなるほど、無理してまでも頑張ろうとしてしまうのです。

 人間も時間とともに変化しています。それが諸行無常です。なのに、自我だけは硬くなり固まっていく。この命は私たちに教えてくれます。「流れの中で逆らわず生きていきませんか」と。親鸞聖人は、「私たちは、煩悩具足の凡夫の身にうなずいていきましょう」と教えてくださいます。それが、南無阿弥陀仏と称(とな)えるということなのです。

 親鸞聖人は「称う」を「かなう」とよんでおられます。「かなう」とは適合する、ピタッとあうということです。今の私と、現況をピタッとあわせ、自分の分限を知らせてもらえば安心して生きていけるのです。

 師の親友(住職)が、ある時から身動きできず寝たきりになったそうです。その姿をみたお孫さんが「じいちゃん、何も役にたたなくなったな」と言ったそうです。するとご住職は「何もできなくなったが、耐えることはできるんぞ! こうしておまえを見守ることができるんぞ」と言ったそうです。その言葉を聞いたお孫さんは、無言でご住職の大きな懐に抱きついたのだとか。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。