ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「いただきます」のこころ

僧侶・歌手 柱本めぐみ




 久しぶりに信州に行きました。見わたすかぎり緑の広がる景色に包まれて散策しながら、山があり水が流れ、木々や草花のいのちがあるから私たちのいのちがあることを、しみじみと感じ入る機会となりました。そして、そのとき思い出されたのは、豪雨で被害に遭われた女性の言葉でした。

 7月の初め、西日本一帯に降り続いた大雨は各地に甚大な被害をもたらしました。その状況を報じる番組の中で、畑の作物が全てなぎ倒され、泥をかぶった野菜が無惨(むざん)に散らばっている様子が映りました。

 その畑をじっと見つめていた農家の女性が、「かわいそうに。ひとつでも、ふたつでも生き残ってくれていてくれたらねえ…」とつぶやかれたとき、私はハッとしました。ご自身が避難所生活を余儀なくされ、大変な状況である中で、「野菜がかわいそう」と言われたのを聞いて、私は大切な何かを忘れているのではないかと思ったのです。

 自然の恵み、そして育まれたいのちを毎日いただいて自分が生きているということは、十分に知っているつもりでした。しかし、何の苦労もなく食べ物が手に入る今の日本の暮らしの中で、常に「おいしいものを食べたい」という欲が先行して、いただくいのちへの感謝の気持ちが薄らいでいることに気付かされました。

 日本の食物廃棄量は世界で一、二を争い、その量は世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた食料援助量の2倍に当たると聞いたことがあります。家庭では賞味期限が過ぎれば捨て、「新鮮」「作りたて」を売りにしているお弁当などは、一定の時間がくれば容赦なく廃棄されます。利便性や利益を追求する中で、私たちがいのちを粗末にする行為を続けていることも、決して忘れてはならないと思います。

 浄土真宗では「いただきます」の前に「多くのいのちと、皆さまのおかげにより、このごちそうに恵まれました」と申します。この言葉をいま一度、深く味わわせていただきたいと思っています。



はしらもと・めぐみ氏
京都市生まれ。京都市立芸術大卒。歌手名、藤田めぐみ。クラシックからジャズ、シャンソン、ラテンなど、幅広いジャンルでのライブ、ディナーショーなどのコンサートを展開。また、施設などを訪問して唱歌の心を伝える活動も続けている。同時に浄土真宗本願寺派の住職として寺の法務を執り行っている。