ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「保身主義」のはてに

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介




 自民党の国会議員である杉田水脈氏の発言が物議を醸している。LGBT(性的少数者)は子どもを産まない。そのような「生産性」のない人間に税金を使うのは無駄、と主張したのだ。子どもをつくらないことで生産性がない人間だと断罪するのも言語道断だが、そもそも生産性の有無で人間を評価するのは、どうか。

 コンピューターの基礎を作ったアラン・チューリングは、同性愛者だった。同性愛を犯罪とした当時の英国で起訴され、「強制治療」を受けさせられたあげく、自殺に追いやられた。根拠なき差別が、二十世紀最大の「生産的」人間を殺した。

 杉田らが称揚する日本の伝統は、同性愛に寛容だった。しかし、明治以降、それは差別の対象となる。産めよ増やせよが国家の方針となったからだ。杉田の発言は、一部の政治家が当時と変わらぬ国家中心の考えでいることを示している。

 その政治家たちは、自分たちを世間の良識の担い手であり、現実的な「保守主義者」であるという。

 本当にそうだろうか。

 確かにかつて革命を目指した理想主義者たちは、勝手な社会の理想像をつくりあげ、その実現に性急なあまり多くの過ちを犯した。

 人間をその愚行も含めてあるがままに抱擁し、社会も大いなる自然の一部だと考えるのが本来の保守である。ならば厳として存在する少数者を自然のあり方のひとつとして認め、社会が彼らに不条理を強いるなら、現実主義的に粘り強く社会を改良していくのが保守政治の本道であろう。

 自分と違うものへの理解を示さず、その価値を貶(おとし)めて社会から排除しようとするのは、保守主義ではない。わが身から見え感じることのみを良しとする、単なる「保身主義」である。

 「保身主義者」にとって社会が多様であること、自分と違う少数者の権利を認めることは、我慢がならないことらしい。多様性を認めると、自分の狭い人間観、人生観が揺らいでしまうのだ。そんな「保身主義者」が増えると、行き着く果ては全体主義の社会だろう。



たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。