ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

本音過剰と建前過剰

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝伸太郎



 旧聞に属する話題で恐縮ですが、私の勤務先の同僚の中でトランプ大統領誕生を確信していたのは米国生活の長かったM医師1人だけで「トランプ氏は多くの米国人の本音を代弁しているから」というのがその理由でした。私たちの懐疑をよそに、実際に彼の予言は的中し世界中が激震に見舞われたのは皆さんご記憶の通りです。

 M医師によれば、米国の実態は差別大国であり「本音の層」では昔からの「差別」がいまなお跋扈(ばっこ)しているのだそうです。

 その本音に「ひねり」を加えて「反差別」という「建前の層」を作り出し、国内外に向けて積極的に発信するスタンスが米国の威信を支える一因であったように私には思われます。本音を抑圧して建前へと変形させる「昇華」という心的機制こそが文化・理念・普遍的正義を創出するという考え方が精神医学にはあります。建前に実現困難なきれい事が多いのは事実でしょう。しかし建前を度外視して、幼児のように本音を振り回すだけでは社会はいつまでも未成熟なままです。

 他方、「建前の化身」然としてふるまい、自分の内面に潜む本音に全く無自覚なのもまた幼児的です。人間は等しく愚かであり、他人を差別して自分が優位に立とうなどという浅ましい考えを、状況次第では、抱く場合があります。本音を自制し建前を重んじる努力をすると共に、己の本音を否認しない謙虚さや人の本音に対する寛容さも失ってはならないでしょう。日常生活でも、本音ばかりをぶつけあっていると人間関係など成立しませんし、建前ばかりが幅を利かせると窮屈で息苦しい世の中になってしまいます。目下、本音過剰と建前過剰のどちらにも偏らないバランス感覚が政治でも人間関係でも求められている気がいたします。



 9月から精神科医の芝伸太郎氏が執筆者に加わります。




しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。