ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

手を握っていて





 20年同居してきた猫のクマが死んだ。黒くて熊似だが気の小さい甘えん坊で、息子が拾ってきたヤツだから年齢はわからない。

 9日ほど前から飲まず食わずになり、口に濡(ぬ)らしたタオルを付けても、吸いもしない。それでもよく生き延びて、心細い声で呼びかけてくる。根気よく妻や息子が返事をすると、いつまでも呼び続ける。動物はひとり(一匹?)で誰にも看(み)られず消えるように死ぬのではなかったのか?

 この間お会いした笑医塾の医師高柳和江先生は「食べる人は死なない」とおっしゃっていたが、クマはまったく食べないで10日近くも生きた。先生は、また「孤立している人の脳は萎縮する」と言っておられたが、クマは、最期まで、私と妻と息子とを識別して呼びかけ方も変え(?)頭はしっかりしていた。ヤツは最期まで孤立しておらず、ぜいたくな見守られ方をしていたから、その分、最期まで会話を交わしながら生き続けたのであろう。

 猫でもそうなのだから、もともと人と交わり、支え合って生きる人間の場合、孤立せず、頭と心をいきいきと使いながら暮らすことは、幸せな長寿と幸せな最期のために、とても重要なことだと思う。

 「死に方のコツ」(小学館文庫)という名著がある高柳先生は、しかし、幸せな最期のところで迷っておられた。

 「私、みんなに見られて『往生際が悪いな』なんて思われて死ぬの、嫌でしょ。だから『一人で死ぬから放っといて』と思うの。だけど誰かに手を握ってもらいながら逝くのもいいじゃない。だからどっちにするか決めかねているのよ」

 死に方を考えるより今生きることが大切、という高柳先生の考え方はまったくそのとおりと思うが、私はそういう生き方をしながらも、死ぬ時の希望はもう決めている。

 愛する人に手を握っていてもらいたいのである。だからクマの気持ちがわかる私である。



ほった つとむ氏
1934年宮津市生まれ。京都大法学部卒業。東京地検特捜部検事、最高検検事などを経て、91年に法務大臣官房長を最後に退職。現在、ボランティア活動の普及に取り組む。弁護士。著書に「おごるな上司!」「心の復活」「少年魂」など。