ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

一流の世渡り上手

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝伸太郎



 ときどき「私は周囲から世渡り上手と褒められることがあります」とおっしゃる方にお会いする機会があります。世渡り上手とは、非難を受けても笑顔でかわし、称賛されても有頂天にならず、場の空気を的確に読んで、ときにはさりげないお世辞で相手の自尊心をくすぐり、自分の欠点をネタに笑いを誘い周囲の己に対する警戒心を緩め、いつの間にか重要人物の懐の中にもぐり込んで、大きな信頼と寵愛(ちょうあい)を得て、明に暗に有利な取り計らいを相手から引き出し、順風満帆な人生行路を着実に歩む人を指します。

 この処世術の要諦は先述の権謀術数が「周囲に決して見破られてはならない」点にあります。いったん見破られた手練手管は相手に不快感を与え、効果が半減するどころか逆に嫌悪感をいだかれる場合さえあります。ですから、世渡り上手と目されている人は、それを「見破られている」という一点において、世渡りの才覚がそれなりにあるとしても、残念ながら一流とは呼べません。世渡り上手も一流の域に達すると、周囲の者には全く気づかれなくなってゆきます。

 知恵者でも事情は似ています。「能ある鷹は爪を隠す」という故事がありますが、本物の知恵者は別に爪を隠してはいません。堂々と見せているにもかかわらずその奇抜な形状ゆえにみんながそれを爪として認識できないだけの話で、私たち凡人は往々にして「あの言動が爪で、彼は本物の知恵者だったのか」と後になって気づかされます。

 精神科診療でも、最初は見えなかった真理が何かをきっかけに突如見えてくることがしばしば経験されます。ありきたりの日常風景の中で一流や本物や真理には「見えているのに見えない」という難しさがあるということなのでしょう。

 世渡り上手は一流に昇段するとオーラが完全に消失し、ごく普通の人として私たち凡人の中に紛れ込みます。そう考えながら周囲を観察すると、意外な発見があるかもしれませんね。




しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。