ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

パートナーの悪口を笑顔で語る夫や妻

もみじケ丘病院院長、精神科医
芝 伸太郎



 仕事柄、夫の悪口をいろいろとおっしゃる女性に時に出会います。悪口といってもたわいのないものが多く、脱いだ衣類を洗濯機に入れない、食事を作ってもおいしいと褒めない、毎週土日はゴルフ三昧(ざんまい)といった愚痴がほとんどです。

 男性が妻の悪口をおっしゃる例では、トイレの周囲をおしっこで汚すたびに大声で叱られ、晩酌の量の制限が厳しい、何でも子供優先といったところでしょうか。

 皆さんは笑顔で悪口を語り終えた後、留飲を下げた様子で帰路につかれます。ご夫婦の仲は格別良くも悪くもなく、たまに口げんかになっても、それなりに平穏な暮らしを一緒に送っておられます。私の経験では私を前にしてパートナーをことさら称賛する場合の方が夫婦仲は冷えきっていることが多いようです。

 高名な学者によりますと「カタル」には二つの意味つまり「語る」と「騙(かた)る」があり、誰かに語るという行為で、その聞き手を同時にだまして(騙って)もいる場合があるといいます。発話者が正直者であるとかないとかは全く関係がなく、カタリの持つ不思議な作用によって、内容の異なる複数のメッセージが勝手に伝わってしまうという現象が日常的に起こりえるのです。

 夫(妻)の悪口を笑顔で私に語る方は、そう語りながら同時に、私のみならずご自身をもだましているわけですね。悪口自体は確かに本音です。しかしその裏側にはおそらく別の本音が張り付いているのでしょう。例えば「そんな夫(妻)ではあるけれども私にとっては大切な人なのです」と。悪口を語る際の笑顔が裏側の本音の存在を強く示唆しています。カタリを読み解くのに発話者の表情や仕草(しぐさ)が重要である所以(ゆえん)です。

 たわいない悪口を笑顔の妻にあちらこちらで喋(しゃべ)られている諸兄へ。三くだり半を突きつけられる危険性は現時点では低いでしょう。今後、その悪口が急にやんだり逆に称賛に反転するような事態になれば、可及的速やかに奥様のご機嫌を取るようお勧めいたします。

しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。