ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

なぜ怒るのか?

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 友人から「妙慶さん、離婚しようと思うの」と相談を受けました。どうも連れ合いさんと、結婚記念日のお祝いをする約束をしていたそうです。というのが2人は過去、ゆっくり食事ができる環境ではなかったそうです。なんとその日、連れ合いさんはすっかり忘れ深夜まで帰ってきません。メールをしても返事がないことから大げんかになってしまったというのです。

 さて、いきなり「怒り」を出す人はいません。その前に、「悲しみ」があるのです。心が風船だと想像してください。悲しみという感情を日々ためる中でパンパンに膨れあがっていきます。そこにショックな出来事が針となってつつかれたときに爆発してしまうのです。

 私は、怒りがこみ上げてきたときには、阿弥陀さまの前に座り、合掌します。そして「なぜ怒りが出るの? 私は何がしたいの?」と自分に問います。すると根底には「こんなに頑張っているのに、なぜわかってくれないの?」という思いと、「寂しいよ」という不安の中でもだえていることに気付かされるのです。

 そんな私に阿弥陀さまは、「自分の伝え方が本当に正しいのですか?」、「寂しいというけれど、皆、孤独の中にいるのですよ」と教えてくれるようです。

 親鸞聖人は「凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」。だれでも皆、死ぬ直前まで煩悩はなくならないのです。

 私は「『残念でした。私はあなたと結婚記念日のお祝いをできることが楽しみだったのよ』と、あなたの悲しみを伝えると連れ合いさんは反省の気持ちが持たれるのでは?」とアドバイスさせていただきました。

 どれほど怒りを投げても、解決しないときがあるのです。そうではなく相手の悲しみにふれたとき、心が和らいでくるのではないでしょうか。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。