ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

『海の鳥・空の魚』

立命館大教授 津止正敏



 作家・鷺沢萌が35歳という短い生を閉じてからこの4月でちょうど15年。1987年に最年少(当時)で文学界新人賞を受賞し、女子大生作家として文壇デビューを果たした。在学中に文芸誌に書きつづった短編を集めたのが『海の鳥・空の魚』(90年)だ。彼女を知る人ももう少ないかもしれないが、この作品が故に私には今も忘れられない作家の一人になっている。

 短編集のあとがきに印象深い一文が記されている。

 「どんな人にも光を放つ一瞬がある。その一瞬のためだけに、そのあとの長い長い時間をただただ過ごしていくこともできるような」。そして彼女は続ける。魚は海、鳥は空、があるべきところだろうが、何かの手違いで海に放り投げられた鳥、空に飛びたたされた魚がいたかも知れない。それでも、という。喘(あえ)ぎながらも生きながらえただろう彼らにだって、きっとうまくいった「一瞬」はあるはずだ。喘ぎながらもただ生き抜く力にもなるような「一瞬」が。

 この作品が世に出た頃、私は36歳。世間的には不惑を目前にする頃だが、当時身を置いた環境との不調和にいら立ち、惑いもがいていた。「本当にこのままでいいのだろうか」。細かいことを言えばきりがないが、仕事も家庭も社会活動もそれなりに悪くない環境にあったはずなのに、それでも名状し難い気分に喘いでいた。エラのない鳥や羽のない魚が、私自身に重なった。二十歳を過ぎたばかりの若い作家の一文に救われたように思った。随分と気持ちも軽くなった。あるべきはずの環境を手にできる人などごく一握りだ。そうではない人のほうが圧倒的な多数派だ。もがきあらがうことこそが生きている証しではないか、と。

 後日、鷺沢萌の死因が自死と知って驚いた。自身には、長い長い時間をただ過ごしていけるような光を放つ「一瞬」はあったのだろうか。早熟が故に35年で燃焼しきったのだろうか。書き続けていれば彼女はいま50歳。その続きを読んでみたいと思う。




つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。