ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

金持ち病気せず?

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝伸太郎



 心の病は複数の要因が絡み合って発症します。幼少時の養育環境・思春期体験・失恋や離婚の痛手・対人関係のストレス・天候不順・経済的困窮・身体不調など数多く、未知のものまで含めるとおそらく枚挙にいとまがないはずです。話を極度に単純化して一つの要因だけを悪者扱いする言説は非常にわかりやすく世間受けしますが、精神医学的には誤りです。ただし、複数が関与しているとはいえ患者さんごとに各要因の比重に違いがあるのもまた事実であり、その見極めは治療の成否を左右します。

 近年私たち精神科医が痛感するのは20年前と比較して経済的要因の比重が大きいと思(おぼ)しきケースが格段に増加していることでしょう。例えば、毎月家計にあと3万円の余裕があれば心を病まずに済んだのではないかと推察されるような場合です。会社の業績不振のあおりを食らって連日残業に疲弊する社員、家計のマイナスを埋め合わせるため人間関係の厄介な職場でのパート日数を増やさざるを得ない妻、お金のやりくりで口論の絶えない夫婦、両親の衝突を目の当たりにして心がすさぶ子ども、介護費用が捻出できず十分なサービスを受けられない高齢者。「金持ち喧嘩(けんか)せず」という故事をもじった「金持ち病気せず」は、昨今の精神疾患の一部に限定するなら、決して言い過ぎではありません。

 誰の目にも明らかな世界規模での経済成長鈍化によって、精神科臨床の風景が激変しつつあるのです。精神医学を身体医学から分かつのは、政治・経済・社会・歴史・文化といった人文科学的諸事象との連動性であり、メンタルヘルスという言葉にはこういう精神科の特殊性を度外視して心の失調を医療という狭い枠の中に押し込めてしまおうという意図が透けて見えることがあります。ドラマ「家なき子」の名台詞(ぜりふ)「同情するなら金をくれ」の「同情」を「治療」に読み替えたかのような生活の叫びに向きあうには、メンタルヘルスにとどまらない多元的理解が不可欠だと思うのです。

しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。