ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

焼き場に立つ少年

弁護士 尾藤 廣喜




 「焼き場に立つ少年」の写真をご存じだろうか。アメリカの報道写真家ジョー・オダネル氏が佐世保から長崎に入った小高い丘の上で、息絶えた弟と思われる幼児を背負った少年が、屋外の火葬場で歯を食いしばりながら、順番を待つ様子を撮影したもの。誰もがこの写真を目にすれば、戦争の悲惨さに魂を揺さぶられ、核廃絶の思いを心に刻み付けることになると思う。オダネル氏は、「人間の原点を、占領者としてではなく、同じ人間としてカメラに収めた」と言われている。私たちは、原爆症認定集団訴訟の意義を訴えるために、この写真を使うことをオダネル氏に要請し、認めていただいた。そして、集会のポスター、「にんげんをかえせ」(横井久美子編曲)という歌のCDの表紙にも使用させていただいた。その後、この写真は、ローマ法王が目にし、「涙が止まらない。こんな悲しいことは二度と、絶対に起こしちゃ駄目だ!」として「戦争がもたらすもの」との言葉を添えて、2017年末に、カードにして世界に配布することを指示された。

 このように長崎の被爆の象徴となった写真であるが、写された少年が誰なのか、その後どうしているのかについては、全くわからないまま、74年が経過しようとしている。

 長崎の被爆者が「友達ではないか」と考え、さまざまな手掛かりを探したが、確認できないという。また、ある放送局は、最近この写真をカラーデジタル化し、50年近く被爆者の治療に携わり私たちの裁判の証人となっていただいた齋藤紀医師が、これを分析し、瞳の横にグレーの部分があること、鼻の中に出血を防ぐための詰め物があることなどから、多量の放射線被爆を受け、急性症状が出ている可能性があることを指摘した。

 「焼き場に立つ少年」は誰なのか、その後どうなったのか不明のままであるが、原爆被害の悲惨さ、残留放射線の被害の重大さを今でも私たちに知らせてくれている。



びとう・ひろき氏 1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。