ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

こらえる

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 人間関係のトラブルから暴行にまで発展する事件が後を絶ちません。相手から注意されたことに腹をたて暴力をふるう。運転中に割り込まれたことから切れて相手の車をあおる。今は、スマートフォンからの録画、ドライブレコーダーなどが普及しましたので、あおる側の車の画像、声が鮮明に記録されています。

 その中で「こん畜生め」と相手をののしる声が目立ちます。さて、畜生は、広辞苑を見ると「(人に畜(やしな)われて生きているものの意)禽獣(きんじゅう)・虫魚の総称」とあります。しかし、この言葉は、単に生き物を分類しての言葉ではないのでしょう。

 仏教では、人間が最も怖れる世界を三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)だと教えてくれます。地獄と聞くと閻魔(えんま)さんが裁く所を想像しますね。それだけではありません。他人を責めつづけ自己をかえりみることのないものが住む世界なのです。

 餓鬼とは、骨と皮がガリガリに痩せておなかだけが膨らんでいる鬼の姿をあらわしているように、常に求めるため、自己を見失ったものが住む世界です。畜生とは、相手ばかりを責め、自己の行為を恥じることのないものが住む世界です。

 今、「こらえる」ということができなくなった方が多くなった気がします。そこには、自分の要求を中心に生きようとはしてないでしょうか。

 私は師から「常に相手のことが、あなたの心の中にありますか?」と投げかけられたことがあります。自分の要求だけをぶつけて、周りの人のことが心に入れられないのは、まさに畜生なのです。自分で自分のことはわかりません。教えを聞きながら、周りの人の声を聞かせていただき、人は成長できるのです。

 紅葉も温度変化にこらえて真っ赤に色づくように、私たちもあるときにはぐっとこらえる時間をもちませんか? あなたの人生深くなりますよ。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。