ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

なぜ、「介護者虐待防止法」はないのか?

立命館大教授 津止正敏



 先月(11月)は高齢者虐待防止法が公布された月でもあり、また11日が「介護の日」でもあることから、介護や虐待防止について各地でさまざまなイベントが開催された。私にもいくつかお声がかかって足を運んだ。

 この種のイベントに伺うたびに忘れられないエピソードがある。もう10年以上も前のことになるが、京都市での虐待防止に係る講演会後の質疑でのこと。質問者は、認知症になった父親を介護しているTさんだった。母親が亡くなった後、ヘルパーのサポートを受け1人で暮らしていた父親だが、半年後に入院。2カ月ほどの入院生活で寝たきり状態になり、やせ細り、立つこともままならずに、認知症状も出ていた。退院しても1人で暮らすことは到底考えられなかったために、職場の介護休業制度(1年間)を利用して介護帰省という選択をした。妻は専業主婦、子どももいなかったので夫婦一緒に故郷に帰ってきた。当初は、特養を探して復職を考えたが、すぐには施設も見つからずに、また少し健康を取り戻した父親の様子に自分の介護がなにがしか貢献したのでは、とのかすかな希望も芽生えた。しかし状況は好転せず、休業が終わる一年後に離職を余儀なくされた。離職時、彼は56歳。いま収入は閉ざされ、貯金と父の年金が頼りの暮らし、という。

 彼は言った。「高齢者虐待防止法は分かった。ならば、なぜ、介護者虐待防止法はないのだ。自分たち夫婦は父の介護のために収入源を絶たれ、24時間365日介護拘束を受けているような生活だ。介護する者への虐待じゃないのか」

 私は当時、介護者支援の欠落を現行介護政策の課題と捉え、その必要を主張していた。だが、それは彼のいう根拠法の制定にまで考えは及んではいなかった。介護保険法に組み込むか、あるいは新たな根拠法「介護者支援法」の制定か、視野を広げてもらった気がした。あれから10余年、介護OBとなったTさんとはいまも年に1、2度の杯を交わす縁が続いている。

つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。