ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

根拠の脆弱性という不安

立命館大教授 津止正敏



 12月を師走というけれど、私には3月こそが師走の日々だった。卒論集発行に時間を割かれ、ゼミ旅行の同行では体力を消耗、卒業判定の教授会では目を凝らしてゼミ生の名前探しをする。スーツやはかま姿に着飾ったゼミ生たちと写真に納まるのもうれしい卒業式や謝恩会。晴れた日、小雨の日、それぞれに思い出深いゼミ生たちの旅立ちの時を祝ってきた。

 しかし、今年は違った。中国武漢に端を発した新型ウイルスの感染が瞬く間に日本でも拡大して、卒業式そのものが中止になった。全国の小中高校ではそのほとんどが3月のすべての休校を余儀なくされている。

 このウイルスがこれほどまでに社会不安をかき立てているのは、これまでの感染症とは違う臨床的症状があるからだ。軽症者や無症状者がかなりの割合で存在し、そのために、感染者がそれとは知らずに周りに感染させてしまうという「見えない感染」が広がっているからといわれている。どこで誰から感染したかということが追えないという不気味な環境にあるからだ。さらに、未だにこの新型ウイルスの宿主は特定されずに、そのために検査や治療法や新薬の開発にまだ見通しがたっていないことも社会不安を増殖させている。

 今年の3月と同様の事態は、あの阪神淡路大震災や東日本大震災・福島原発事故の際にすでに経験してきた、はずである。ただ、違うのは、眼前に広がる物理的な大惨事という明瞭な根拠のあった対処に比して、今回の「見えない感染」への予防的対処は、その方針採択に至る根拠の著しい脆弱(ぜいじゃく)性ということにある。新型コロナウイルス感染症そのものの医学的解明と共に、事態への初動期対応をはじめとする一連の社会的政治的行動そのものの正当性が厳しく問われる課題である。

 世界保健機関は、12日パンデミックを表明したが、いつになったら平時の暮らしに戻るのか。誰が何を根拠にその時を判断するのか。不安と不信が渦巻く中で、卒業生の門出を祝える代替式の実現を想(おも)っている。

つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。