ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

介護と「男の修行」

立命館大教授 津止正敏



 苦しいことも、腹の立つことも、泣きたいことも、あるだろうが、男ならじっと堪(こら)えよう。山本五十六が残した「男の修行」だが、多くの男性介護者の介護実態もこうした耐え忍ぶ修行を地でいくようなものではなかったか、と思う。

 25年前に聞いた話。

定年間近に妻が倒れ、その後は介護、介護の人生になった。介護生活が始まった当初、何より毎日の買い物がつらかった。スーパーで女性たちの列に混ざってレジの順番待ちをするのがとても苦痛だった。哀れなジイさん、とみられているんやろうか? 何とも惨めな気持ちになって、一刻も早く立ち去りたかった。

 話の主は山科区の介護者の会「はげましの会」の初代会長を務めた藤本正夫さん(1997年没、享年72歳)。会発足(95年7月)の際の会報にも次のように記した。「私たちは悩みも苦しみも耐え忍んで介護してきました。そこには過労がやってきて身を滅ぼす人もいます。互いにはげまし合って体を大切にしていきましょう」

 藤本さんの発案で会の名称は「はげましの会」となった。しばらくして、施設で暮らすようになった妻のもとに自転車で通うことを欠かさなかった藤本さんだったが、会発足の2年後に病に倒れ妻を残して彼岸に旅立った。見舞いの会員たちに「会を頼むで」というのが常だったという。

 「哀れで惨め」という男のメンツをつぶされるような気分は、多分に藤本さんに限らず同年配の男性ならば誰しもに深く内面化された当時の社会を覆っていた規範であろう。他の誰でもない自分自身もそう思っているのだから余計に面倒なのだ。この規範が自縄自縛となって「介護をする自分」を受け入れることができないという構図。当たり前のように介護を担っていた女性からはあまり聞くことがなかったことだ。

 藤本さんの介護体験談を耳にしたことから、私の男性介護者への関心は始まった。あれからもう25年が過ぎたが、「はげましの会」は今も続いている。

つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。