ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「ぼく」が気付いたこと

立命館大教授 津止正敏



「朝がくると」(まど・みちお)は言っている。朝がくると、とび起きて、水道で顔を洗い、洋服をきて、ご飯を食べ、本やノートを、ランドセルに詰め、靴を履き、学校へ行く、という「ぼく」の毎日。そして、「ぼく」はしっかり気付いている。このすべてが「ぼくが作ったものでもない」ということを。「ぼく」はこんなにも多くの人に支えられながら暮らしているのだ、ということを。人と人の尽きることのない依存的関係こそが、この社会を成り立たせている原理なんだ、ということを。

でも、「ぼく」と違って、私もそうなのだが、日常の暮らしではこの依存性を実感することはほとんどない。今着ている衣服をつくったのは誰なのだろうか、この料理は、食材は、食器は、などということを、ほとんど気に留めることもなく淡々と過ごしている。

この隠された人と人の関係性が一挙に可視化する瞬間がある。

毎年1月のこの時期になると、今も身体に刻まれた傷のように痛みが走る。1995年1月17日淡路島北部を震源としたあの阪神淡路大震災。電気・ガス・水道・交通・流通・通信、そして役所などのあらゆる社会機能が瓦解(がかい)し、一日の生活維持すらも不可能と思えるような惨状。誰の世話にもならずに自分ひとりの力で営んできたかのような私たちの日常は、実は地球の裏側に住む人たちも含めて無数の他者の労働によって成り立っているのだと思い知らされたのだ。

そして、新型コロナウイルスの感染拡大で閉ざされた暮らしにあえぐいまもまた同様だ。私たちのこの社会とは概念化された単なる記号や標識ではなく、実に濃密でかつ複雑に編み込まれた人と人の関係性そのものだったことを教えている。互いに支え合い触れ合いながら生を成す社会への渇望だ。

飛躍のようだが、さらに言えばこの関係性が最もピュアに表出するのがケアの領域かもしれない、ということだ。私の希望にも連なっている。


つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。