ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

偏見を真に解消するために

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎



精神科医として駆け出しの頃、患者さんから「普通に生きるとはどういう意味ですか?朝起きて、ご飯を食べて、仕事に行って、帰宅して、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝るのが普通ということですか?」と質問されて言葉に詰まったことがあります。どう答えればよいのか全く見当がつかず、へ理屈でお茶を濁すしかありませんでした。

私が返答に窮したのは臨床経験の未熟さゆえではありません。この同じ問いを真正面から投げかけられたら、現在の私でもしどろもどろになります。精神科医に限らず誰であってもおそらく同様のはずで、「普通に生きる」の意味を明確に答えられる人はこの世に存在しないでしょう。古今東西の哲学者がいまだに答えを見つけられない難問なのだから当然です。

「普通とは何か」「人生の意味とは何か」「幸せとは何か」などの根源的な問いを突き詰めて考えると人は正気ではいられません。これらの問いから目をそらし思考停止するからこそ心の健康が得られるのです。「人間の本質的問題を無視しても平気でいられる」という鈍感さ(異常性)が心の健康を支えているわけです。

したがって、これらの問いにまともに答えようとする真面目さ(正常性)を持つ人において心を病む可能性が生じます。心の異常性が心の健康を担保し、心の正常性が心の病気を作り出すという驚くべき逆説。精神分析の創始者にして大思想家であるジークムント・フロイトによる発見です。

心の病気に苦しむ患者さんへの偏見をなくす啓発が近年、普及しているのは喜ばしい限りです。ただその一部に、どことなく上から目線であるとか、同情に類したまなざしが見受けられる場合があることに私は違和感を覚えます。優越感に裏打ちされた偏見批判は偽善です。人間心理の健康と病気の、そして正常と異常の二項対立が失効する深みまで考え抜いたフロイトに学ばねばなりません。心の病気に対する偏見を真に解消するために。


しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。