ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。


畏と抱擁

平等院住職 神居 文彰


能登からの塩と魚を楽しみにしていた。軍艦島も対岸に映える山々や翡翠(ひすい)の浜も、ここから信濃や越の国や畿内まで想像できた。日常生活する場所と遠出をするたまらない場所に夢を求めたのだろうか。

積み上げられた資料から明治40(1907)年の上野公園教育水族館記念絵葉書や同36年第7回博覧会水族館案内記が飛び出してきた。自分は島国に生きているとあらためて感嘆(かんたん)する。

明治期、水産博覧会は初回が第2回内国勧業博覧会(明治14年)の2年後、つまり内博と連動して実施されている。水産という産業と一体となったもので、現在の万博が経産省所管と同じである。

漁業や水産物というくくりだけでなく水族館により水生生物の多様な生態に触れ、学問的な探求を施す。それらを愛(め)で種の保存共生の切っ掛けという、逃がれられない関係の再確認でもあった。

明治30年神戸和田岬和楽園で開催された第2回水産博覧会付属水族館の報告書によると、巨大なジオラマ2基と放養槽基、保険槽9基が蒼海を望んだ岩洞を入口に海底を想像させる施設という未曽有とされた規模である。海亀、竜の落とし子などキャプションを眺めただけでわくわくできる。「くらげ等の放養セシモ縊い死しシタル」と試行錯誤の連続であり、施設運営には巨額費用も必要であった。

現在、水族館は文化庁所管の博物館となっている。博物館というと美術工芸的なものを想像するかもしれないが、文化を構築し守り畏るべき対象は私たちの周囲に無数に存在する。

そして、四周を海に抱かれ、恵みとさまざまな文化が流入すると同時に、ここは災害の国でもある…

何を大切にするか。最近ではNHK大河ドラマのヒロインが「妾(しょう)」となることを拒否し、映画『デューン 砂の惑星PART2』では主人公最愛の女性が正妻でなかった。洋の東西古今、情意が人生を左右するが、真の縁(えにし)と生きうる環境を尊び守り続けていきたい。


かみい・もんしょう氏
大正大学大学院博士課程満期退学。愛知県生まれ。1992年より現職。現在、美術院監事、埼玉工業大理事、メンタルケア協会講師など。