ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「その人らしさ」という価値観

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎



最近は「らしさ」という言葉が使われなくなってきました。典型例は「男らしさ」「女らしさ」で、これらを公の場で不用意に口にすると批判されます。

「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と各自がイメージするのは自由であるとはいえ、その価値観を人に押しつけるのはよくないということですね。そういう文脈において「らしさ」という表現を慎むべきというのは正論と思われます。

「らしさ」を別の角度からもう少し掘り下げてみましょう。「自分らしさ」という言葉があります。もし皆さんが「あなたの自分らしさは何ですか」と質問されたら、どのようにお答えになりますか。おそらく頭を抱える方が多いのではないでしょうか。それは無理のない話です。

「自分のあるべき姿」「自分にとって理想のあり方」は、その人の来し方や置かれた状況によって変わります。どこかに単体として「自分らしさ」が存在するわけではありません。「自分らしさを尋ねられても私にはわかりません」が先ほどの問いに対する正解です。

「らしさ」がその人の歴史や周囲との関係性において「誰かが誰かをはかる」価値観であることを踏まえると、最近目につくようになった一つの言葉に私は違和感を覚えます。それは「その人らしさ」です。

自分に関してさえ明確にわからない「らしさ」をどうして他者に関して軽々に言うことができるのでしょうか。「その人らしさ」を論ずるのなら徹底的に謙虚であるべきです。この言葉をむやみやたらと振り回す態度には大きな問題があると言わざるをえません。

支援者が善意から「その人らしさ」を考えようと努力していることは私も認めます。ただし善意による行為が常に正義とはかぎりません。「その人らしさ」を主張するときには「もしかしたら自分の価値観を当事者に押しつけているだけではないか」という反省が常に求められます。「支援者が満足するための支援」になっては本末転倒です。


しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。