ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

社会と向き合う力を
青年団の活動を支援

 

藤原 麻美(ふじわら・あさみ)さん



 日本三名橋のひとつ、瀬田の唐橋のそばに滋賀県青年団体連合会(県青連)の事務局=大津市唐橋町23の3 滋賀県青年会館内、TEL 077(537)2753=がある。役員の藤原麻美さん(32)は、ほぼ毎日、高島市から片道1時間半かけて通っている。藤原さんは公務員。残業がない日でも到着は午後8時ごろになる。県青連で会議や事務をこなし、自宅に帰り着くのは日付が変わってからがザラだという。

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年度末の定期大会が間近に迫り、日曜日も事務局で作業する藤原さん(滋賀県青年会館内)
 県青連の歴史は1948年に始まる。市町単位の青年団から成り、現在は15団体(約400人)が加盟する。青年団は、おおむね18〜35歳の地域の若者が集まり、交流や社会活動のなかで学び成長しようという社会教育団体。地元行事を担ったり、子どもの職業体験を企画したり、ヨシ刈りなど清掃活動を行ったりもしている。

 「集団行動は好きじゃなかった」という藤原さんは、誘われて県青連のスポーツと文化の大会「滋賀県青年大会」で運営スタッフを務めたのをきっかけに、24歳の時に新旭町(現・高島市)の青年団に加わった。「入ってみると、大人になっても、都会に出なくても、地域で一生懸命になれることがあるやん、と面白くなって」

 09年度からは県青連役員となり、青年団の活動支援や主催事業の運営などにかかわっている。「今の社会は、人が集まり、自分も役割を求められていると感じる機会が少なくなりましたが、ここにはあります。初めは人前で自分の意見を言えなかった若い人が変わっていくのを見ていると、多少しんどくても続けていこうと思うようになりました」

 東日本大震災が発生した時、県青連は県民の思いを届けたいと、草津市内の商業施設で寄せ書きを呼びかけ、500人のメッセージを集めて福島県の青年団に託した。藤原さんは「震災後、『絆』の重要性が語られるけれど、あれだけの犠牲がないと気付けなかったのかと、さみしい思いがする。気付いたなら実践し続けることが大切。青年団の団員はほとんどが仕事を持っていて身軽に支援に行けませんが、自分たちの生活の場で(地域の絆を強め)しっかり生きようと思います。それが、犠牲になった人、一生懸命生きている人への礼儀だと思います」。研修会の講師に被災地の人を招くなどし、県青連のスタンスを団員にも伝えている。

 これまで理事、事務局長、副会長と務めてきた藤原さんは、13年度は会長となる。初の女性会長。「青年団の認知度をあげ、団員が元気になるよう活動支援したい」と言う。「青年団は通過点。そこで得た、生活をベースに社会と向き合っていく力は、その後の人生を変えていくと思う」

 県青連は11年度から婚活事業を始めた。年1回、県内の若者男女100人ずつを募集し、一堂に集う出会いのイベントで、少子化問題も見据えている。「3倍以上の応募があって驚きました。また事業を組み立てていく団員たちの成長もあった」と、手応えを感じている。今を生きる若者の悩みをくみ取りながら、人の成長と地域の発展を目指した取り組みを続けたいという。