ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

手話単語の確定に携わる
年間200語を目標に作業

 

村松 裕子(むらまつ ゆうこ)さん



 2002年に設立された社会福祉法人「全国手話研修センター」=京都市右京区嵯峨天龍寺広道町3の4、075(873)2646、FAX(873)2647=の一部門に日本手話研究所がある。厚生労働省の委託で手話研究・普及事業に取り組み、全国共通の標準的な手話単語の確定が大きな仕事のひとつになる。その研究所事務局主任が村松裕子さん。

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事務局の実務は二人体制でこなす。連絡、調整、資料準備…。日々忙しい村松さん(全国手話研修センター)
 手話単語の確定には、北海道から九州まで全国9ブロックの班の研究員(各班3〜6人)と、上部組織の本委員会研究員(7人)ら計約50人がかかわる。研究員は30〜80代。ろう者や手話通訳者、学識経験者などが務める。

 作業は各班研究員と関係者が確定すべき言葉を選ぶことから始まる。事務局がこれを集約し語意を付けて各班へ。各班はすべての言葉の表現案を考え、動画データにして事務局に戻す。素案は本委員会で一つひとつ審議され新しい手話を確定する。ウェブサイトで公開して意見公募を行い、反対意見がなければ機関紙やウェブ、セミナーなどで普及する─が流れだ。

 例えば「敬語」という言葉は、「尊敬」+「感謝」や、「尊敬」+「言葉」など手話単語を組み合わせた9案から「マナー」+「語」が採用された。「プロフィール」など、一から新しい表現を考案する言葉もある。昨年度は選挙用語などを含め204語を確定した。

 「年に3〜4回の本委員会を開催し、年間200語の確定が目標です。確定過程に立ち会えるのは楽しく、新しい手話が使われていると知るとうれしい」と村松さん。

 村松さんは山梨県出身。2歳の時に聴力を失った。手話を使い始めたのは20代だった。県主催の「障害者の主張」大会に出場する際、手話通訳者に初めて出会い、指導を受けたのがきっかけ。手話にかかわる仕事を望み、07年にセンターに就職。昨年4月から現在の職務に就く。「手話で世界が広がり人生が変わった」。20年ほど前の転機を語る手は晴れやかだ。

 確定作業で意見を述べる機会のある村松さんは「休憩中でも、ふと手話表現を考えていることがある」という。「『モンスターペアレント』という言葉を、『怪物』と『両親』の組み合わせだけで表現すると意味にずれが生じる。難しいですね」。時事用語や福祉関係の言葉が気になるといい「社会で何が起こっているかを知るための手話単語が欲しい」。笑顔を見せながら「『倍返し』なんかもあればいいな」とも。基本の情報保障と同時に、今使いたい言葉も必要だ。

 普及した手話は辞典に収録される。研究所が編集した「新 日本語─手話辞典」(11年発刊)は、旧版(1997年発刊)に比べ約2000語多い10300語を収めている。

 11年の改正障害者基本法で手話は言語と位置づけられた。その後、国は積極的な施策を打ち出していないが、今年10月に鳥取県が全国初の「手話言語条例」を制定。手話普及の環境整備に乗り出した。他の地方自治体でも動きがある。社会に変化が兆すなか、センターの設立10周年を機に後援会組織も発足した。村松さんは「さらに理解と支援を」と期待を広げ、日々の仕事に力を注ぐ。