ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

里子に家庭のぬくもりを
支え合う社会を願って

 

北川 温子さん(きたがわ・みよこ)さん



 京都市西京区役所に近い閑静な住宅街の3階建て民家。ここが北川温子さん(64)=京都市西京区=が夫のをさみさん(63)とともに運営するファミリーホーム「ゆんたくホーム」だ。家庭で暮らせない子どもが少人数で里親とともに生活するファミリーホームで、今は小学生から高校生まで4人を、親らの承諾も得て預かっている。

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預かっている子どもたち一人ひとりの記録を毎日、付けている。日々の成長を感じるという北川さん(京都市西京区・ゆんたくホーム)
 食堂の壁に掲げられている白い黒板には「言葉づかいに気をつけよう」「ホームのルールを守ろう」などと書かれた紙が張ってある。「子どもたちの当面の目標です。しっかり守れたら、図書券など褒美もあげます」。日常生活の指導を徹底する。思い出作りも心掛ける。昨夏、里子を伴って静岡方面に出かけた。レンタカーを、をさみさんが運転し、世界遺産に登録されて間もない富士山をみんなで眺めた。雄大な自然を前に「普通の家庭のぬくもりに触れて、子どもたちが日々成長してくれれば」と温子さんは思った。

 米軍施設の建設で揺れる沖縄県名護市生まれ。サンゴ礁の青い海を見て育ち、少女時代は那覇で過ごした。子どもたちとのトラブルもよくあるが、「くよくよしない性格も、沖縄で育ったおかげかも」と振り返る。大阪に出て、情緒障害児を預かる短期治療施設で9年ほど勤務した。親からの虐待やネグレクト(育児放棄)された子どもたちが大半だったが、この施設では小学生までしか預からなかった。学習期の子どもを預かる施設に移る子がほとんどだった。

 「安定した家庭で生活し、学校生活を送れたら、きっと幸せになる」。2002年、大阪の自宅に、まず中学1年の女の子を、ほどなく中学生と小学生の姉弟を受け入れた。自分の子どもは3人に恵まれたが、3人とも京都や海外に住み、勉強していた。

 義母の介護の関係もあって、里親になって2年後、京都に移り住んだ。母親としての家事、介護、里子の世話、目の回る忙しさが続いた。3年前、義母が亡くなるとともに京都市から「ファミリーホーム」の認可を受け、「おしゃべりしませんか」との沖縄の方言から「ゆんたくホーム」と名付けた。ファミリーホームになると、生活補助員を行政の援助で雇うことができるが、子どもたちの日々の体調、学校生活など一つの屋根の下で暮らす緊張感に終わりはない。

 里子を受け入れて今年で12年。これまでに10人ほどが巣立った。「おばちゃん、自宅は大丈夫。何かあったら、言ってや」。京滋に大きな被害をもたらした昨年秋の台風18号から数日後、一本の電話が掛かってきた。今は大阪で働く二十歳の青年からだった。「電話一本でもいいので、つながっているのはうれしい」という。

 夫婦には孫もできたが、会う機会も限られている。「そろそろ里親の限界かなぁとも思う」と北川さん夫婦。ただ、気になるのは、今もファミリーホームは少なく、京都府内では北川さん宅だけ。近畿全体でも27軒(うち滋賀は9軒)だ。里親としての経験年数、定期的な研修などがネックになっているとみられる。

 親のわが子への虐待や経済的な環境から育児できない親は後を絶たない。温子さんは「ファミリーホームがもっと増えて、支え合う社会が広がれば」と願っている。