ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

がん患者らの心支える
悩んだ経験 今は人の役に

 

村川かつえ(むらかわかつえ)さん



 滋賀県愛荘町の飲食業村川かつえさん(52)は、がん患者やその家族らの精神的な支援をするピアサポーターとして活動を続ける。活動の場は月1回開かれる長浜市の市立長浜病院のがん患者サロン「きらめき長浜」だ。サポーターの仲間とともに、訪れた人たちの心からの叫びに耳を傾ける。

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がん患者サロンに参加する村川さん(右)。「少しでも、お役に立てれば」と毎回、出席する(左は菊井会長、市立長浜病院)
 「夜が来るのが怖くなる」「経済面で心配が尽きない」「どのように子どもを育てていったらよいのか」。同席の参加者が意見を述べ、サポーターが体験などを話す。「作った言葉では、悩んでいる人の心に響かない。具体的な体験を話すことにしている」と村川さん。ピアサポーターは患者らと悩みを共有し、ありのままの自分を見せるボランティアでもある。

 8年前、長浜病院に入院している母を見舞った時のことだった。「あんたと私は、気が合わないわね」。母がボソッとつぶやいた。娘として懸命に看護してきた村川さんは、とめどもなく涙があふれた。その時、そばにいた看護師さんが抱きかかえてくれ、「病気が言わせているのよ。お母さんのことを恨んだらあかん」。動揺していた心に優しい言葉が浸み込んできた。

 母の闘病生活は入退院を繰り返しながら4年続いた。その間、3人の子どもの子育てと受験、夫と経営している飲食店の仕事、嫁の立場もおろそかにできない。沈みがちな表情なのは自分にも分かった。「村川さん、お体大丈夫」。病院に行くと、優しく声を掛けてくれる看護師さんらがいた。「その一言が、何よりもうれしくて、励みになった。病院に、いつか恩返しをしなくては」と思った。

 母は7年前の春、がんで亡くなった。「もっと親孝行しておけば」。闘病中の母との一コマ一コマに、やり残した思いが消えず、精神的に不安定な状態が続いた。心のより所を求め、縁のあった奈良・吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)で修験道の修行をして在家得度までした。長浜病院にも定期的に患者として通った。そんな時にも、病院の看護師らの励ましが何よりも心強かった。

 「一度、やってみませんか」。母を亡くして4年経ったころ、病院内で何気なくピアサポーター関連の展示品を眺めている時、初対面の看護師から声を掛けられた。「病院にはお世話になりっぱなし。少しは恩返しができる」。サポーターに挑戦することにした。

 ピアサポーター制度は、国が5年前から始めた事業で、滋賀県では県がん患者団体連絡協議会が研修や派遣先病院(7カ所)の選定などを行っている。研修を受けても、希望者全員がサポーターにはなれず、適正などを考慮し指定する。現在、県内では53人が活躍し、その大半が女性という。会長の菊井津多子さん(58)=大津市=は「がん患者サロンでは、優しさのキャッチボールをしながらお互いを励まし合っている。サポーターも元気をもらっている」と役割を強調する。

 今では、すっかり体調も戻り、忙しい毎日を送っているが、月1回のサロンの日は必ず、車で約1時間の病院まで駆けつける。「私の経験が少しでも今、悩んでいる方のお役に立てれば、本当にうれしい」と村川さん。

 母が亡くなって、しばらく経ったころ、長女が話してくれた。「おばあちゃん、お母さんにはとても感謝していたんやで」