ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

宇治の福祉公社で活動
可能性広がる取り組みを

 

川北 雄一郎 (かわきた ゆういちろう)さん



 「あの時の体験が、福祉関係で生きていく上で貴重な経験になったし、自信も与えてくれた」。こう語るのは宇治市福祉サービス公社で事務局次長を務める川北雄一郎さん(47)。あの時の体験とは15年前のこと。当時、宇治市内の社会福祉法人が運営するデイサービスセンターに勤めていたが、法人が認知症高齢者のグループホームを住宅地の中に計画し、住民との交渉役を任された。周辺住民からは反対や心配が相次いだ。川北さんは一人で毎週地元に入り、住民と徹底的に話し合った。そして1年後、グループホーム設置を認めてもらった。「認知症という病気の誤解を解きたかった」と振り返る。今、このグループホームでは利用者が町内会に入り、住民がホームに出入りし、町に溶け込んでいるという。

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公社のオーナーは市民。市民に喜ばれる福祉を」と語る川北さん(宇治市宇治・市福祉サービス公社中宇治事業所)
 広島県福山市出身。小学5年の時、担任になった男性教諭は養護学校から普通校に転任してきた先生だった。折に触れて話してくれる日本の福祉の現状に興味がわいた。高校生になってボランティアグループに入り、福祉施設にも足を運んだ。「進学するなら福祉の道」と決め、当時、専門の大学が少ないなかで日本福祉大学(愛知県)を選んだ。大学のゼミの指導教授が宇治市内で幅広く福祉施設を運営する法人の事務局長をしていたことから、卒業後はこの法人に就職することになった。「人との出会いに恵まれていた」と喜ぶ。

 法人では老人ホームの各仕事をはじめ在宅介護支援センター、デイサービス事業など老人福祉に関するほとんどの仕事を体験し、多くの要職も経験した。特に思い出深いのは20年前、宇治市が全国に先駆けて小学校の空き教室を老人福祉施設に転用することにし、運営を勤務していた法人に委託されたときだった。責任者に選ばれ、「どうしたらお年寄りも子どもも楽しめる学校にできるのか」と市職員と試行錯誤の毎日だった。それでも、「新しいものを作り出していく楽しさは何にも代えがたかった」と常に前向きだ。

 「宇治市全体の福祉の仕事ができれば」と思っていたところ、35歳の時、宇治市福祉サービス公社の関係者から公社での仕事の話が持ち込まれ、転職することになった。公社は宇治市が100%出資する一般財団法人だが、市から委託事業はあっても補助金は一切ない。ホームヘルパー、ケアマネジャーら全260人の職員の給料や諸経費を生み出さなければならない。「公社ということで市民に安心感は生まれても、逆に厳しい目が常に注がれる」。事務局次長の立場から姿勢を正す。

 仕事は次々と舞い込む。当初、ホームヘルパーの拠点が1カ所だったのを4カ所に増やし、充実させた。市の委託事業である初期認知症総合相談支援事業でも認知症カフェの設置や初期集中支援チームの体制づくりなど着実に進めている。

 さる2月1日、年配のフォーク愛好者がギターを手に演奏するコンサートが宇治市生涯学習センターで開かれ、400人の聴衆で大盛況だった。第一線を退いた年配者に生きがいとやりがいを持ってもらおう、と自らが2006年に企画したイベントで12回目。「このコンサートに出たバンドが老人ホームにボランティアに出かけている。年配者自身の介護予防にもつながる」と。「福祉は取り組み方によってはいろんな可能性が広がる。楽しいですよ」と新しい構想に余念がない。枚方市在住。