ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

障害者の就労を支援
就職後のアフターケアも

 

野々村 光子さん(ののむら・みつこ)さん



 滋賀県東近江圏域の2市2町(近江八幡、東近江両市、竜王、日野両町)で暮らす障害者に、働くことを通して地域で生きていく支援活動をする「働き・暮らし応援センター」。JR近江八幡駅に近い民間会社の2階フロアが事務所だ。「その人のライフスタイルに合った仕事でなければ、長続きしない。生活全般をサポートしている」と小柄な身体で精力的に動き回るのは、センター長の野々村光子さん(41)。長年、引きこもっていた人が生活を変えるため、家族らから部屋の大掃除を頼まれることもしばしばで、「掃除用具は車に積んだまま」と屈託がない。

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応援センターの職員は9人。「だれ一人欠けてもセンターは回転しない。私の宝」。野々村さん(中央)を中心に職場は明るい=近江八幡市上田町・前出産業ビル内
 母親が知的障害者の共同作業所を運営していたこともあり、幼いころから障害者と触れ合う機会は多かった。大学では児童心理学を専攻、卒業後は県内の精神障害者の共同作業所に就職した。ある時、実社会の第一線でバリバリ働いていた中年の男性が入所してきた。「心が折れて働けなくなるのは何が原因だろう。もう一度、復帰し活躍してほしいし、もっと障害のことを知りたい」と考え、精神保健福祉士の資格を苦労して取得した。医療従事者でない人が取るのは珍しい資格だった。京都市内のハローワークに全国で初めて障害者専門に就業をあっせんする窓口が開設されることになり、請われて転職した。ここには6年在籍し、障害者と就労について一から学んだ。

 「滋賀県が進める働き・暮らし応援センターを東近江圏域にもぜひとも作りたい。うちの法人が受け入れるので、野々村さんが中心となってやってほしい」。知己だった社会福祉法人「わたむきの里福祉会」(日野町)の盛井彰司理事長(当時、昨年死去)から懇願された。すでに県内には大津や甲賀地域などに同様の施設はできていたが、「まだ30歳そこそこ。失敗するのでは」と思いながらも、積極的に重度の障害者を受け入れるなど、わたむきの里の福祉理念に共鳴するものがあり承諾した。設立されたのは2006年4月、「2年ほどは目の回る忙しさで、休めなかった」と振り返る。

 応援センターは、滋賀県が社会福祉法人に委託して設置している施設。現在県内の7地域に設けられているが、活動内容は地域によって違いがあるという。東近江圏域のセンターには現在、約800人が就業に向けて登録している。本人が直接訪れたり、親や学校、行政などからの依頼も多い。「仕事の提供は活動全体の2割ていど」といい、障害者を雇用している企業や、就職した人がいる家族、民生委員などから各種の相談が持ち込まれ、そのたびに企業や家庭などを訪問、席の温まる暇がない忙しさだ。就職した人のアフターケアにも配慮し、給料の一部を知人に取られていたケースもあり、返還させる交渉もした。

 事務所内に「結の会」と書かれた大きな看板が立つ。「この会の名前で、センターに来られる人たちと地域のバザーに出たり、お金を出し合って飲み会を開いたり、みんなで楽しんでいる。働くことで得られる楽しみを知ることも大事」と。来年で開設10年。「就職してもこの事務所を訪れる人は多い。ここがあること自体が安心感を生んでいる」。当分、忙しい日々は続きそうだ。会社員の夫と竜王町に住む。