ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

障害者を指導し、教えられ
73歳、ともに汗かき手応え

 

粟田 通(あわた とおる)さん



 幼いころの遊び場だった京都市伏見区横大路の沼地。一面に咲いたハスの鮮やかさは、今も目に焼き付いている。その遊び場だった一角で、今は障害者らとともに汗を流しているのが粟田通さん=伏見区。京都市内で生まれ育った、73歳。「今のところどこも悪いところはない。働いている方が元気かも」と屈託がない。

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ともに働く障害者を指導しながら動き回る粟田さん=京都市伏見区横大路・五健堂本社
 仕事は、商品配送用の空箱の整理と清掃だ。京都市内を中心にスーパーを展開する大手チェーン店から毎日、膨大な量の空箱が次々と戻ってくる。「オリコン(折りたためる箱)はきっちりと畳むように」。常時、数人いる障害者らにてきぱきと指示し、自らも動き回る。この仕事のために2年半前にフォークリフトの免許も取った。「つい叱ることもあるが、あんな叱り方をしなければよかった、と反省している。根気よく指導しなければ」と自分に言い聞かす。

 高校卒業後、大手のパン会社に入り、45年間、配送を担当してきた。65歳になって退職し、福祉事業に理解のある運送会社の五健堂(伏見区)に再就職した。ここでもしばらくはパンの配送をしてきたが、会社の事業拡大とともに他の高齢者らと空き箱担当になった。朝の早い作業だ。毎朝4時半に起床し、7時からの始業に合わせる。

 「粟田さんに任せておけば大丈夫」。周囲からも厚い信頼を得られるまでになった。

 「70歳の峠も超え、そろそろ潮時か。しんどかったら辞めて、と女房もいうし」。そんな時だった。地域の役に立ち、障害者が自立生活できる福祉を掲げるNPO法人エンデバーエボリューションが五健堂の協力を得て空き箱関係の仕事を担うことになり、障害者が採用されるようになった。「福祉を進化させるためにも、仕事を引き続いてやってほしい」。法人理事長の松浦一樹さん(47)から懇願された。障害者と一緒に仕事をするのは初めてで不安もあったが、「福祉の役に立てるなら」と引き受けた。「職業指導員」の肩書もついた。昨年4月のことだった。

 今年の3月下旬。伏見の居酒屋で祝賀会が開かれた。空き箱作業をともに続けてきた障害者の男性2人が新しい会社への入社が決まり、そのお祝い会だった。「大変、お世話になりました」。2人から心のこもったお礼の言葉をかけられ、目頭を熱くせずにはいられなかった。「社会に出ても、前をしっかり向いて頑張ってください」。寄せ書きにそう記した。「パン会社にいる若い時はお金を稼ぎ、自分中心に考えていたが、今は人の役に立ちたいとの思いが強い。仕事が本当に楽しい」と話す。

 空き箱整理の作業場に隣接した工場内ではスーパーで扱う冷蔵や冷凍の商品を箱詰めする作業も行われていて、ここでは配送会社の社員が主に働いている。粟田さんは「障害のある人でも、じっくり時間さえかければ大概の仕事はこなせる。いずれ、これらの仕事にも多くの人が携われれば」と、夢を広げる。

 自宅にいる時も掃除、草引きと体を休めることはない。「とにかく真面目。体が動かなくなるまで指導してほしい」と松浦理事長の期待も大きい。「障害のあるなしにかかわらず、働ける社会になってほしい。障害者から教えられることも本当に多く、体が続く限り、頑張りたい」