ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

障害者に社会との接点を
うどん店・商品販売…着々と

 

中村 祐子(なかむら ゆうこ)さん



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人気上々のうどん店。「真心込めた味とおもてなしが自慢」と利用者と談笑する中村さん(右から2人目)=京都府宇治田原町岩山
 京都府宇治田原町の国道307号沿いに「京都のうどん たなか家」ののれんが掛かっている。昨年5月にオープンし、障害者ら6人が客の注文に応じて厨房で調理、提供している。町内の人やドライバーらで週末は行列もできる繁盛ぶりという。

 この店を企画したのが障害福祉サービスセンター「うじたわら」施設長の中村祐子さん(58)=同町銘城台=で、「井手町のおうどん屋さんの理解と協力でオープンできた。味とおもてなしで勝負している。障害者の店だからという甘えは一切ない」と社会の一員としての施設を強調する。料金設定も他のうどん店と変わらない。

 行動派を自認する中村さん。何かに感化を受けたら、迷うことなく突き進む。奈良・吉野で育ち、壺井栄の「二十四の瞳」を読んで、小学校の教諭に。長じて、障害児教育の先駆者、田村一二の思想と行動に感銘をうけて、大阪の養護学校の教壇に。この養護学校は800人ほどが入所・通所する大きな福祉施設の中にあり、ほどなく施設内で働くようになった。しかし、「障害者が管理されているよう。もっと社会との接点を深められないか」と疑問も大きくなってきた。やり残した気持ちを抱えたまま、結婚とともに退職した。宇治田原町とかかわるようになったのは、二人目の子どもが生まれたのを機に「自分も田舎育ち。子育ては田舎でしたい」と探し回って決めたのが、同町の新興住宅地だった。1997年のこと。そのころ、町内では障害児を抱える親らが「養護学校を卒業後、子どもたちが行くところが町内にない。施設を作ろう」と、資金を集めて運動を展開していた。無認可の共同作業所ができることになり、指導員として白羽の矢が立ったのが中村さんだった。「養護学校卒業後の障害者の生活については考えているところもあり、喜んで引き受けた」と振り返る。

 小さなプレハブに5人の障害者と中村さんだけでスタートしたが、5年後には福祉法人(宇治田原むく福祉会)が設立され、町から土地の提供も受けて建物も新設。今では町外の人も含めて障害者38人が働くようになった。数少ない障害者によるホームヘルパー事業、3カ所のグループホームの運営など幅広く取り組む。施設での作業は社会の需要を重視する。「食品ならおいしくて喜んで買い求められる品物を作り、下請け作業なら納期を守り、不良品を減らし、信頼してもらうことが大切」という。

 農業班が栽培する季節の野菜は地元JAに卸し、3年前からは特産の「鶴の子柿」を使った独自の酢を生産し、ネットでも販売している。「新鮮で味がよいと好評です。柿は地元の農家が無償で分けてくださり、地域とのパイプが太くなっている」と喜ぶ。百円均一のダイソーの工場が町内にあり、バーコードの貼り付けなども請け負っている。先日、利用者とダイソーの店に出かけた時、「私の作った商品がある」と声を上げて、喜んでくれた。「そんな利用者の姿を見るのは、何よりうれしい」という。下請け作業は途切れることはないといい、「入所者の給料は月額5万円を目標にしている。障害者だから安くてよいはずはない」と高く掲げる。女性の細やかさと男性のような力強さを併せ持った人だ。